ブラタモリ 新潟県糸魚川市 まとめ!再放送無しで見逃し動画配信やロケ地・撮影場所!蛇紋岩ヒスイ&親不知&塩の道とは?#191

11月 29, 2021

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NHKブラタモリ #191 「糸魚川~君は糸魚川の本当のすごさを知っているか?~」

– 2021年11月27日(土)19:30~20:15 –

今回は、糸魚川~君は糸魚川の本当のすごさを知っているか?~と題し
糸魚川に来れば日本人の暮らしを知るうえで重要なことがたくさんわかる!?
東西文化の違いは糸魚川が境目?
など糸魚川の本当のすごさをタモリさんが日本海沿いに断崖絶壁「親不知」~「塩の道」~翡翠を探しヒスイ海岸をブラブラ歩いて解き明かすブラ旅でした

この記事では次の情報をまとめています。

・新潟県糸魚川市のロケ地(撮影場所)と順路
・新潟県糸魚川市の放送内容のレビュー(ネタバレ)
・再放送は4月の番組改変で終了した
・ブラタモリの見逃し動画はU-NEXTで配信されている
・ブラタモリの見逃し動画配信は初回にプレゼントされる600ポイントを使って実質無料で視聴可能な理由

ブラタモリの再放送は番組改変により無くなりました。

ですので見逃した方は、見逃し動画配信で観るのがオススメです!

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新潟県糸魚川市~君は糸魚川の本当のすごさを知っているか?~のロケ地(撮影場所)と順路

「ブラタモリ#191」で訪れたのは前回「フォッサマグナ糸魚川-静岡構造線“日本”はどうできた?」に引き続き新潟県・糸魚川市でぶら旅です。

今回は以下のテーマで「まだまだある本当の糸魚川のすごさ」を探るを解き明かします。

案内人は前回に続きフォッサマグナミュージアム館長 竹之内耕さんです。

● 東西文化の違いは糸魚川が境目?

● 絶景!親不知(おやしらず)はどうできた?

● 日本海沿いに断崖絶壁ができた理由とは?
糸魚川世界ジオパーク 親不知ジオサイト

● 交通の難所が日本文化の多様性をうみだした?

● 糸魚川―静岡構造線に沿った「塩の道」の秘密

● 日本鉱物科学会により「日本の国石」とされるヒスイが糸魚川の特産品となった理由とは!?

東西文化の違いは糸魚川が境目?

親不知を挟んで東西20キロの範囲に住んでいいる方でも呼び方が違う場合があります。

天ぷらを揚げる時に生じる揚げかすは・・・
東 揚げ玉
西 天かす

ポリタンクの色・・・
東 赤
西 青(糸魚川周辺だけけかもしれません)
など違いが有ります。

などの違いがあります。

親不知は日本列島の真ん中にあり、糸静線上にあります。

つまり、糸静線地形が文化も分けている?←こじつけっぽいですけど・・・

絶景!親不知おやしらず)はどうできた?

【撮影場所】親不知

親不知とは飛騨山脈(日本アルプス)の北端が日本海の浸食によりできた断崖絶壁です。

親不知駅がある歌(うた)の集落を中心に、西の市振駅がある市振(いちぶり)地区までが親不知、東の勝山(かつやま)地区までの約15キロメートル程が子不知(こしらず)とよばれており、併せて親不知子不知とも呼ばれています。

日本海の海岸の断崖絶壁に沿って狭い砂浜があるだけで古くから交通の難所として知られています。

交通の難所が日本文化の多様性をうみだした?

かつて越後国と越中国の間を往来する旅人は、この断崖の下にある狭い海岸線に沿って進むしかありませんでした、

北陸道(越路)最大の難所として知られており、波間を見計らって狭い砂浜を駆け抜け、大波が来ると洞窟などに逃げ込むのですが、途中で波に飲まれる者も少なくなかったと云われています。

歌川広重 越後親しらず(加賀街道)
歌川広重 越後親しらず(加賀街道)

中でも「親不知」と命名された諸説の一つに平頼盛のエピソードが有ります。

「壇ノ浦の戦い」に破れた後に助命された平清盛の異母弟・平頼盛は越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていました。

都に住んでいた平頼盛の妻はそれを知ると、夫を慕って2歳になる子を連れて京都から越後国を目指しました。

しかし、途中でこの難所を越える際に、波打ち際で連れていた子供を波にさらわれてしまったそうです。

そして悲しみのあまり、妻は「親不知 子はこの浦の波枕 越路の磯の 泡と消え行く」と、その時のことを歌に詠んだ事から「親不知」名付けられた説が有ります 。

歴史的に見ると地形的に軍事的な要衝でもありました。

承久3年(1221年)の承久の乱では、朝廷側が親不知西側の市振で防衛線し、越後側から進軍してきた北条朝時を迎え撃ちましたが、1日のうちに撃破されました。

江戸時代では、参勤交代制度が始まると加賀藩主が親不知を往来する為に、富山県側の新川郡から400-500人の波除人夫を集め、人垣により波濤を防いで通行したそうです。

明治時代、明治天皇の北陸・東海両道巡幸の際に危険な親不知ルートを迂回して山道を通ることになったのを切っ掛けに1883年(明治16年)12月になって初めて、断崖を削って北陸街道(現:国道8号)が開通しました。

鉄道は、1912年(明治45年/大正元年)に北陸本線(現:えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン)が開通しました。

北陸新幹線(2015年・平成27年開通)は、この区間の山側を青海トンネル・新親不知トンネルをはじめとするトンネルで通過しています。

国道は、1933年(昭和8年)に子不知地区・1936年(昭和11年)に親不知地区の道路改築が進められ、幅員5.5m – 6.5mが確保され1967年(昭和42年)に全線が本格的な自動車道として完成し、その後も歌バイパスの整備やロックシェッドを主とする二次改築工事などが進められました。

鉄道・国道の2路線は上記の様にいずれも防災対策からのちにルート変更が行われており、この区間には放棄された旧線・旧道が散見されます。

1971年(昭和46年)、国道8号天嶮トンネル東口付近から栂海新道(登山道)が開通し、標高ゼロメートルから北アルプスの縦走に挑める登山道の玄関口となりました。

1988年(昭和63年)親不知IC付近を海上高架橋により通過する北陸自動車道が開通しました。

海上高架橋の為、道路から断崖絶壁と砂浜、岩礁、洞窟が織りなす海岸美を堪能することもでき、景勝地となっています。

日本海沿いに断崖絶壁ができた理由とは?

親不知は、日本海の浸食によりできた断崖絶壁ですがどのようにして削られていったのでしょうか?

親不知でタモリさんは崖の露頭(岩石や地層が地表に露出した部分)に注目しました。

この露頭は礫(小石)を含んだ凝灰岩(火山灰が固まってできた岩石)です。

これは約1億年前の陸上の火山噴出物です。

その頃はまだ日本列島はユーラシアの一部でした。
つまりユーラシア大陸の凝灰岩です。

ユーラシア大陸から離れる時に出来た、と考えられています。

大体、数十センチ~1メートル間隔で亀裂が沢山入っています。

板のような岩盤が垂直に並んでいます。

海岸線と平行な線を作り約10キロ広がっています。

垂直な岩盤が並んでいることに加え、親不知を含む北アルプスは、糸静線の断層活動により東西からグイグイ押されて隆起してで出来上がりました。

亀裂の入った親不知の岩盤は崩れやすくなり、亀裂の所から剥がれていって、この断層が出来上がりました。

この様にして断崖絶壁ができ親不知の絶景を作っているのです。

市街地で糸魚川のすごさを探る

江戸時代は加賀街道(現・本町通り)の砂丘上に街が出来ていました。

加賀街道を挟んで各家が、プライベートビーチを持っており、塩を作って収入源にしていました。

雁木通り(本町)

【撮影場所】糸魚川信用金庫~こだま食堂周辺

この街道には雁木造りの建物が多く、雁木(がんぎ)造り雁木通りになっていのが特徴です。

雁木(がんぎ)とは、軒からひさしを長く張り出し、豪雪地帯においては積雪下でも通行機能を確保するその下を通路積雪下においても通行機能を確保するもので、雁木を備えた通りは雁木通り(がんぎどおり)と呼ばれています。

加賀街道で重要な街道だった為、大勢の人が通行しました。

その為、歩きやすい様に雁木造りの建物が発展したと考えられています。

それはビルの中に通路を作っている程です。

【撮影場所】千国第一ビル 新潟県糸魚川市本町6-1

このビルの雁木となっている道が「塩の道」の起点となっています。

糸魚川―静岡構造線に沿った「塩の道」の秘密

塩の道(しおのみち)は、塩や海産物を内陸に運ぶのに使われた道です。

【撮影場所】加賀街道(本町通り)と白馬通り交差点(塩の道・千国街道起点)

また反対に内陸からは、山の幸(食料に限らず、木材や鉱物も含む)が運ばれた道です。

日本海側の千国街道(糸魚川 – 松本・塩尻)や北国街道(直江津 – 追分)、太平洋側の三州街道(岡崎 – 塩尻)、秋葉街道(御前崎 – 塩尻)などが日本の代表的な「塩の道」です。

千国街道は「敵に塩を送る」で知られる上杉謙信が敵の武田信玄に塩を送ったのもこの街道を使ったと考えられています。

なぜ塩の道ができるほど塩作りが盛んだった?

内陸には海産物や塩もなく糸静線が走っている為、断層沿いに川が流れていたり平地が出来ていたりと道が作りやすいから、と考えられています。

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文化を隔てる場所とすれば、塩の道の起点のこの場所は文化をつなぐ場所

隔てるところもあれば繋ぐ場所もあるというのが糸魚川の大きなポイントですね。

日本鉱物科学会により「日本の国石」とされるヒスイが糸魚川の特産品となった理由とは!?

日本の国石ヒスイ 写真提供:糸魚川市
日本の国石ヒスイ
写真提供:糸魚川市
ヒスイ(翡翠)とは、地球の表面をおおう巨大なプレートの沈み込み帯にしかない岩石です。

ヒスイは、さまざまな鉱物が集まってできており、ほとんどの部分はヒスイ輝石きせきという鉱物からできています。

濃こい緑色の部分は、オンファス輝石という鉄やマグネシウム、カルシウムを含む鉱物に近い組成そせいを持っています。

その他にも、曹長石そうちょうせきやぶどう石せき、方ほう沸石ふっせき、ソーダ珪灰石けいかいせき、チタン石せきやジルコンなどが含まれることもあります。

ヒスイを含む岩石のなかから、「糸魚川石」「蓮華石」「松原石」などの新鉱物が発見されています。

プレートの沈み込み帯にある日本列島には、いくつかのヒスイ産地がありますが、その中でも糸魚川は国内随一の質と量を誇るそうですよ!

糸魚川以外にもヒスイ産地がありますが、糸魚川ヒスイの様に鑑定書が添えられる様な宝石になる透明度が高くて良質なヒスイが多くあるのは糸魚川だけです。

2016年(平成28)年9月24日、日本鉱物科学会により日本を代表する「国石」として翡翠(ヒスイ)が選ばれました。

糸魚川は国内屈指の翡翠産地で翡翠の原石を見ることのできる小滝川ヒスイ峡は人気の観光スポットです。

小滝川ヒスイ峡での採取は禁止されていますが、ヒスイ海岸へ流れ出たヒスイは探索可能で、だれでも宝石探しが楽しめるのが人気です。

新潟県糸魚川市とその周辺のヒスイ産地は縄文時代から利用されてきたという歴史があります。

糸魚川のヒスイが生成された約5億2000万年前という年代は、岡山県新見市大佐山に産するヒスイとともに、メソアメリカ(現在のメキシコ周辺)のヒスイ文化は約3,500年前で確認されている中では最も古い年代に生成されたもので、糸魚川のヒスイは世界最古のヒスイ文化発祥地と言っても良いでしょう。

ヒスイが地上に出てくる仕組み

糸魚川の海岸にまれにある暗緑色の独特のぬるっとした質感の石・ヒスイは蛇紋岩に包まれて地上まで上昇し川から海に流されてくる石です。

①蛇紋岩は、マントルを作るカンラン岩が沈み込む海洋プレートから放出された水と反応して出来る岩石です。

ヒスイが地上に出てくる仕組み 出典:糸魚川ジオパーク小滝川ヒスイ峡
ヒスイが地上に出てくる仕組み
出典:糸魚川ジオパーク小滝川ヒスイ峡

蛇紋岩はまわりのカンラン岩よりも密度が低いので浮き上がっていきます。

②上昇してきた蛇紋岩は、すでにできていたヒスイや変成岩を中に取り込んでさらに上昇します。

ヒスイが地上に出てくる仕組み 出典:糸魚川ジオパーク小滝川ヒスイ峡

③大陸プレートの海側へののし上げにより、上昇しつつあったヒスイを含む蛇紋岩が押され、さらに地表付近まで上昇します。

ヒスイが地上に出てくる仕組み 出典:糸魚川ジオパーク小滝川ヒスイ峡

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蛇紋岩はヒスイの運び屋なんですね~。

【撮影場所】長者ケ原遺跡 新潟県糸魚川市一ノ宮1383

縄文時代に姫川から海岸へ流れ出たさまざまな石を加工し、特に石斧とヒスイの玉類の製作と流通の拠点として栄えました。

ここで作られたヒスイのペンダントは日本中にプレゼントとして行き渡りました。

普通なら見返りがあはずですが、この地の方は受け取った形跡がないそうです。

ヒスイをモチーフにしたご当地キャラ(ゆるキャラ)

ジオまる・・・糸魚川-静岡構造線の断層とヒスイをモチーフにしたキャラクター

ぬーな・・・糸魚川の伝説のお姫様、奴奈川姫(ぬながわひめ)をモチーフにし手にヒスイを盛っている

ヒスイの関連観光スポット

翡翠苑
翡翠ふるさと館(親不知ピアパーク)

タモリさんの「#191新潟県糸魚川市」まとめ

タモリさんは、今回のお題「君は糸魚川の本当のすごさを知っているか?」をこうまとめました。

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蛇紋岩があるとことに翡翠が出てきて、それが隆起して川の浸食でゴロゴロと出てきた

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それが日本中に行き渡って、結局国の石にもなっているんですからね

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この豊かな土地があったからこそ翡翠の加工に専念出来た

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日本の原点みたいなものですね。糸魚川すごいです。

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