ブラタモリ 東京湾は古東京川の澪筋~本澪 東京海底谷まとめ!再放送無しで見逃し動画配信やロケ地・撮影場所!#202
NHKブラタモリ #202「東京湾~海の玄関口・東京湾 原点は川にあり?~」
– 2022年5月14日(土)19:30~20:15 –
今回は、東京湾を船でぷかぷかし「海の玄関口・東京湾 原点は川にあり?」の秘密を解き明かすブラ旅でした。
この記事では次の情報をまとめています。
・#202 東京湾のロケ地(撮影場所)
・#202 東京湾の放送内容のレビュー(ネタバレ)
・ブラタモリ新アシスタント歴代7代目野口葵衣アナ紹介
・再放送は4月の番組改変で終了した
・ブラタモリの見逃し動画はU-NEXTで配信されている
・ブラタモリの見逃し動画配信は初回にプレゼントされる600ポイントを使って実質無料で視聴可能な理由
ブラタモリの再放送は番組改変により無くなりました。
ですので見逃した方は、見逃し動画配信で観るのがオススメです!
#202 東京湾の放送内容のレビュー(ネタバレ)
ブラタモリ#202では、東京湾を囲む東京都と千葉県富津市を船で巡り、旅のお題「海の玄関口・東京湾 原点は川にあり?」を探りました。
今回のブラタモリでわかる事をロケ地別にまとめると・・・
・【浅草】東京湾は江戸時代まで浅草辺りが海岸
・【浅草】利根川は江戸時代までは東京湾までそそぎ氾濫を繰り返していた
・【浅草】江戸時代徳川家3代までかけて行った利根川東遷事業により鬼怒川と合流し千葉県を抜け太平洋に流れるようになった
・【浅草】江戸時代以前の古代から中世にかけて海の玄関口は当時の海岸線があった浅草辺りにあった
・【浅草】隅田川の延長上には最も太い澪筋である「本澪(ほんみお)」がはしっていた
・【佃島】本澪(ほんみお)は2万年前の利根川の下流に流れる「古東京川(海底の渓谷・東京海底谷)」で水深は今より120メートル深い川だった
・【佃島】澪筋を利用し東京湾の礎が出来た
・【東京国際クルーズターミナル】関東大震災の復興の物資を運ぶため東京港が開港した
・【富津岬】東京湾の玄関口の富津岬は細長い砂嘴(さし)と呼ばれる鳥のクチバシの様に海に突き出して砂が堆積した地形になった
・【富津岬】富津岬が堤防の役割をはたしたお陰で東京湾は穏やかな海となった
・【第二海堡】明治時代~大正時代に東京湾の平和を守るため敵の外国船を迎え撃つ為、浅瀬の富津岬~横須賀の7キロの浦賀水道上に埋め立てにより要塞・海堡を3つ建てた
・【第二海堡】最深12mで最浅8mの浅瀬のはずの第二海堡のそばを大型のタンカーが通れるのは、すぐ傍を「古東京川」が連なっており航路として利用しているから
以上の謎を巡り、「海の玄関口・東京湾 原点は川にあり?」の秘密を解き明かすブラ旅でした。
浅草は海の玄関口だった
東京は世界でも少ない首都と海の玄関口が近い都市です。
しかし江戸時代は、葦が生える湿地帯でした。
#名所江戸百景 より「蓑輪金杉三河しま」です。箕輪は現在の三ノ輪になります。荒川の氾濫で付近は湿地帯でした。将軍家の放鷹の場があり、鶴が舞降りるため幕府は一帯を保護区に指定していました。 pic.twitter.com/2qDpiROnWr
— 愛書家日誌 (@aishokyo) April 3, 2016
【撮影場所】隅田川・スカイツリー周辺
タモリさん御一行は、隅田川を舟で下って海岸線の変遷を辿ります。
江戸時代になると隅田川は大川と呼ばれており土砂が月日を重ね佃島まで蓄積しており、海岸線は広がり、海の玄関口は佃島に移っていました。
江戸中に掘り割りが巡らされ神田川(日本橋川)も隅田川に繋がり、海から江戸城まで繋がる流通網が出来上がり、都市全体が港の役割をはたしていました。
【撮影場所】隅田川と日本橋川合流地点(日本IBM本社周辺)
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佃島まで大きな船を物資を運び、小型の船に物資を載せ替え日本橋川などを辿り日本橋の河岸などに運んでいたそうです。
「富嶽三十六景 武陽佃嶌」葛飾北斎 現在の中央区佃島あたり。pic.twitter.com/1p07q6KPwZ
— 学べるアート@スマホケースは固定ツイから (@art_matomen) October 15, 2021
【撮影場所】お台場〒135-0091 東京都港区台場1丁目4
幕末に外国船の侵入を迎え撃つ為に作られた砲台を設置したお台場は1年6ヶ月の間に6つ埋め立てにより作られました。
ブラタモリ東京湾にちなんで昭和初期の品川第二台場。
帆掛け船がなんとものどか、時代を感じずにはおれません。
番組で出てきた富津の海堡が完成して、品川台場はその役目を終えました。
廃止されて間がないためか、今とはちょっと雰囲気が違っています。#ブラタモリ #台場 #東京湾 #お台場 pic.twitter.com/NllPai6VMB— torikuraryusen (@torikuraryusen) May 14, 2022
こんな短期間でお台場が作られたのもこの辺りの水深が浅い事によります。
この辺りは江戸時代は干潟の先端でした。
東京湾は干潟の広がる遠浅の海でした。
しかし大きな船は入れない港としては最悪な条件でした。
澪筋(みおすじ)
澪筋(みおすじ)とは、海や河の中で船が通ることができる深い部分です。
隅田川の澪筋に沿って港を作りました。
それが現在の東京港です。
ブラタモリにちなんで、昭和21年撮影の東京上空からみた東京湾口。
画面右下が皇居、東京の町は真っ黒で一面焼け野が原となっています。
残念ながら澪筋はわかりませんが、この海の道が東京の復興を助けたのですね。#ブラタモリ #東京湾 #東京 pic.twitter.com/EKUnrwZmwr— torikuraryusen (@torikuraryusen) May 14, 2022
隅田川の延長上には最も太い澪筋である「本澪(ほんみお)」がはしっていました。
隅田川の干潟の中の川筋(澪筋)を航路として使うことで、遠浅の海という港には不向きな条件を克服する事ができました。
川のおかげだ。
しかし次第に船の大きさは大型化が進み、日本の玄関口は横浜に移り、横浜は日本の貿易の7割を占めるほどに成長しました。
そこで、隅田川の干潟の中の川筋を浚渫しその土砂で埋立地を作ることで河口の改良として整備を始めましたが、関東大震災による復興のための物資の運搬として東京港として港が整備されました。
そして日の出ふ頭が出来ました。
そして、昭和16年東京港が開港しました。
こうして隅田川の澪筋を起点として港が広がっていったのでした。
同時に街も広がっていきました。
ここまでのまとめ
海の玄関口・東京港の原点に川がある。
東京湾と川の関係を解き明かす!
東京湾の成り立ちにも川が大きく関係を探るためにタモリさん御一行は、東京湾全体全体を見渡せる2020年に完成した東京国際クルーズターミナルに移動しました。
【撮影場所】東京国際クルーズターミナル
利根川東遷事業
江戸時代までは利根川は東京湾に注いでおり徳川家康公が3代に渡り、川の流れを変えました。
利根川は頻繁に氾濫を起こすため、江戸の街を守る為、江戸時代初期にチーバくんの鼻のあたり(東京、埼玉、千葉の県境あたり)を削って鬼怒川に合流する様に利根川の流れを変えたのでした。
今日はチーバくん(@chi_bakun_chiba)の誕生日だそうです 🎉🎉🎉
記念にチーバくんと地図を重ね合わせました😗
チーバくんの鼻は #野田市
耳は #銚子市 と簡単に覚えられそうですね✌️#チーバくんおめでとう pic.twitter.com/5RUcu4Hl6T— 株式会社ゼンリン (@ZENRIN_official) January 11, 2020
江戸時代に利根川の流れを変えた際の最重要な開削地点と思われる地域。 #ブラタモリhttps://t.co/m3d2CT3vZW
— 産鉄族 (@santetsuzoku) May 14, 2022
江戸時代に利根川の流れを変えた事。
東京湾が干潟だらけになるのを防いだ他、霞ヶ浦の南側は逆に埋まって陸地として使えるようになったって事か。一挙両得!#ブラタモリ— now鹿 (@nowshika) May 14, 2022
古東京川
東京湾は2万年前海面が今より120メートル低く、嘗ての利根川の下流には、古東京川(海底の渓谷)が流れていました。
鉄腕DADHでやっている金谷(浦賀水道)の深海は、古東京川の河口。「東京の自然史」貝塚爽平著。2万年前、東京湾は陸地だった。 pic.twitter.com/zYmaIrv8nY
— ごとかつ@広島支店 (@GotoSheng) March 15, 2015
氷河期の東京湾は東京内湾まで川(古東京川)が流れる陸地が続き、外湾のところで海になったとか。
古東京川は大瀑布になって海に消えていたと考えられているそうです。 pic.twitter.com/abGnlhm6k2— アノマロカリス (@kamiko_anomalo) April 23, 2016
古東京川の上が航路になっていたのか! pic.twitter.com/x2wjPBxmub
— WING ACE (@on_top_mark) May 14, 2022
更におよそ6000年前縄文時代には海面の上昇はピークで利根川の河口は埼玉県を超え群馬県まで広がっており、鬼怒川の河口も茨城県南東部まで広がっていました。
利根川と鬼怒川が繋がった事により土砂が茨城県南東部~千葉県まで堆積して現在の様な地形に変わりました。
「ブラタモリ・ちばらぎ編」鹿島神宮と香取神宮は古代霞ヶ浦の対岸に位置していたという。1000年前は利根川もなかったこともあり、霞ヶ浦も大きかった。カシミールの湖機能で少し大きめの霞ヶ浦を作ってみた。カシミール3Dスーパー地形セット+地理院地図。#ブラタモリ pic.twitter.com/1mNgdriBUg
— DAN杉本 (@DANkashmir3d) June 1, 2019
その名残りが茨城県南東部の日本で二番目に大きい湖の霞ヶ浦です。
浦の名前の通り海だったのですね!
もし、江戸時代に利根川東遷事業により利根川の流れを鬼怒川と合流させていなかったら・・・
利根川を江戸の初期に流れを変えていなければ、東京湾は浅瀬や干潟ばかりになって港として機能しなかった、と考えられています。
川によって港が守られた。
お題を解き明かすための重要なカギとは?
次にタモリさん御一行は、海の玄関口東京湾の成り立ちにも川が影響を探るために、千葉県富津市の富津岬に移動しました。
【撮影場所】富津岬/明治百年記念展望塔
千葉県富津市富津2280
富津岬は、東京湾の入り口で、対岸の横須賀の走水まで僅か7キロの位置で、東京湾で一番狭い場所です。
左手に走水、右手に次に上陸する第二海堡が見えます。
富津岬では、南北で波の高さが違い、南側は波が荒く、逆に北側は波が穏やかで天然の防波堤の役割をはたし、東京湾が穏やかになりました。
富津岬はなぜ細長い砂嘴(さし)と呼ばれる鳥のクチバシの様に海に突き出して砂が堆積した地形になったのか?
それは波が関係しており、南北の海岸に寄せる波が陸地にぶつかり続けて陸地が狭くなりまっすぐに地形が延びていったそうです。
また砂の堆積は海沿いにできるので陸地の中央には砂が埋まりきらずに池が残ります。
池の跡かなーというところが確かにあるわね #ブラタモリ pic.twitter.com/bV4nN7XGsp
— なーさん (@londonyarou) May 14, 2022
#ブラタモリ 富津岬のハゲは、池だったのね。知らんかった。
— radio_no_koe (@radio_no_koe) May 14, 2022
静岡県の大瀬崎も同じ様に池が出来ています。
静岡県沼津市西浦江梨331 大瀬崎
太平洋から吹く南風、関東平野から東京湾に吹く北風がぶつかって出来た天然の防波堤。
第二海堡がもともとどんな場所化探る!
今回もブラタモリ、面白かったですね。
そこで昭和41年の富津市第二海堡跡空中写真。
この頃はまだ砲座がくっきり残っていますが、番組の映像では風化が進んでいるようでした。
タモリさんもおっしゃってたとおり貴重な土木遺産、保存と公開が望まれます。#ブラタモリ #第二海堡 #千葉県 #富津市 pic.twitter.com/52Gws1OPwL— torikuraryusen (@torikuraryusen) May 14, 2022
しました。
最後に第二海堡に上陸し、海の玄関口と川の関係について実感しました。
明治~大正時代に25年をかけて東京湾を守る要塞として築かれました。
海底深さは、最深12mで最浅8mの浅瀬です。
兵士が常駐する為、砲台の地下には地下壕が張り巡らされ居住区を兼ね兵士の身を守る掩蔽壕となっています。
掩蔽壕の壁には地下ということで室内を明るくする為と、海に面している為、湿度を下げる為に漆喰が塗られていました。
土木遺産ですね。
さすが #ブラタモリ
一般公開では覗き込むだけだった第二海堡の立ち入り禁止な場所へ!(゚∀゚) pic.twitter.com/SupGWggv2g— ぶらんだら (@BD06291) May 14, 2022
太平洋戦争時は、防空の為、現在の太陽光発電パネルの場所に高射砲も設置されていました。
兵士が居住しているので娯楽の為に土俵も作られていたそうです。
東京湾の中心ではっけよいを叫ぶ。
海の玄関口と川の関係を解き明かす
浅瀬に築かれた第二海堡の傍をタンカーなど大型船が航行しています。
その理由は、古東京川上に航路がある為で、この航路の部分が海底の谷になっており水深が50メートルと深い為です。
地図上の点線部分がその航路で川(古東京川)の澪筋です。
11.5万トンのダイヤモンド・プリンセスから見えた海堡❗️
古東京川の澪を通っていたのかー🤔ナルホド#ブラタモリ pic.twitter.com/Rj7fRU2MyR— り虎riko (@tiger_riko_) May 14, 2022
川の跡が航路になっているんだ!
一見広い海を動いている様に見えて川の上を通っているんですね。
もし古東京川がなかったら東京湾はずっと浅瀬で横須賀の走水から千葉の富津周辺が玄関口となっていて強い波に晒されていた。
更に富津が東京湾を塞いでしまい東京湾は、東京湖になっていた。
自然の防波堤、大型船も通れる海の道が奇跡的に合わさった東京湾の玄関口、その原点は川だったのですね
ブラタモリ新アシスタント歴代7代目野口葵衣アナ紹介
タモリさんの#202「東京湾」まとめ
タモリさんは、今回のお題「海の玄関口・東京湾 原点は川にあり?」をこうまとめました。
次、東京湾を見た時には、川を感じられるようになりました。
東京湾を見て川を感じる事はなかなかできない事ですねぇ。
凄いよね、地形、地質は。
アナウンサーの野口さんの、番組の最後のコメント「東京湾を見て川を感じられるようになりました」を聞いて大きく頷いた。実際に巡検したことで景観の見え方が変わったというのは素晴らしい。
今までの歴代アナウンサーの方と比べて、コメントが多いのも観ていて楽しい #ブラタモリ— しおかぜ (@Shiokaze98) May 14, 2022
東京湾の原点は川にあり
ブラタモリを見た後は航路が川にしか見えなくなった〜 pic.twitter.com/HsdhBXzbuE— ペンミ@Carpenguin (@mkiipen) May 14, 2022
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