ブラタモリ京都・南禅寺|以心崇伝の功績とは?なぜ東照宮が?家康との意外な関係!ロケ地
ブラタモリ京都・南禅寺|以心崇伝の功績とは?なぜ東照宮が?家康との意外な関係!
2026年10月3日放送の「ブラタモリ」は、京都屈指の人気寺院・南禅寺が舞台です。
湯豆腐や三門からの絶景、レンガ造りの水路閣でおなじみの南禅寺。しかし、その風景の奥には、亀山法皇の願いや徳川家との深い関係が隠れています。
なかでも気になるのが、「禅寺なのに、なぜ徳川家康をまつる東照宮があるの?」という疑問。その鍵を握るのが、家康の政治を支えた名僧・以心崇伝(いしんすうでん)です。
この記事では、いただいた放送内容をもとに、南禅寺の創建、発掘調査で注目された龍形の池、応仁の乱からの復興、国宝・水路閣の役割をまとめます。
この記事でわかること
- 南禅寺を開いた亀山法皇の願い
- 徳川家と金地院東照宮の関係
- 「黒衣の宰相」以心崇伝の功績
- 池の水を抜いて見えてきた「龍」の意味
- 三門の絶景と湯豆腐が人気の理由
- 国宝・水路閣の成り立ちと現在の用途
南禅寺は亀山法皇が開いた日本初の「勅願禅寺」
ブラタモリ 南禅寺回のお知らせ
10月3日(土)午後7:30 NHK 総合にて放送予定 南禅寺の秘密に迫ります!
そしてブラタモリを観て南禅寺に興味が出た方におすすめ!10月24日(土)南禅寺にて文化講座が開催されます。どうぞ皆様ご参加下さい。#ブラタモリ #南禅寺 #三門 #水路閣 pic.twitter.com/HEgd6wImpj— 【公式】大本山 南禅寺 (@nanzenji_kyoto) October 1, 2026
【ロケ地】南禅寺は、1291年(正応4年)、亀山法皇が無関普門(むかんふもん)を開山に迎えて創建した禅寺です。
「日本初の禅寺」と紹介されることがありますが、正確には日本初の勅願禅寺。天皇・上皇の発願によって開かれた禅寺という意味で、日本に最初にできた禅寺という意味ではありません。
元寇を経験した法皇が託した願い
亀山法皇は、上皇時代に蒙古襲来、いわゆる元寇という国家の危機に向き合いました。禅僧の教えに接し、その精神的な支えを得ていたと南禅寺の公式資料は伝えています。
南禅寺の創建は元寇の後です。そのため、単に「元寇に勝つために建てた寺」と説明するよりも、国難を経験した法皇が、国家の安泰と人々の救済を願って開いた寺と捉えるとわかりやすいでしょう。
法皇の願文には、命を尊び、あらゆるものを生かすという仏教の願いが込められています。敵味方の多くの命が失われた元寇を経て、その思いは一層深まったと考えられます。
離宮の怪異を鎮めた無関普門
南禅寺の前身は、皇室の離宮である禅林寺殿でした。
寺に伝わる話では、離宮で起きた怪異に対し、無関普門は修行僧とともに坐禅・掃除・勤行という日々の修行を続け、騒動を鎮めたとされています。
亀山法皇はその姿に深く帰依し、離宮を禅寺へと改めました。これは南禅寺の由来を伝える説話です。
優れた僧を広く迎える「十方住持制」
亀山法皇は、南禅寺を率いる住持について、特定の法系に限定せず、優れた禅僧を広く迎える方針を示したとされています。これが十方住持制です。
住持とは、お寺を率いる住職のこと。南禅寺では、その後も夢窓疎石や虎関師錬など、禅や文化の歴史に名を残す僧侶が住持を務めました。
室町時代には、京都五山・鎌倉五山の上に位置する「五山之上」という別格の地位に置かれます。南禅寺の格式には、皇室との関係、優れた僧侶の存在、そして時代ごとの政治的な位置づけが重なっているのです。
なぜ京都の東の端に?動物園に残る巨大寺院の手がかり
【ロケ地】京都市動物園 観覧車
南禅寺と京都市動物園との位置関係
南禅寺があるのは、京都の東山の山裾。番組では、その立地を考える手がかりとして、現在の京都市動物園周辺の歴史が取り上げられました。
動物園の観覧車付近には法勝寺の八角九重塔があった
現在の京都市動物園の敷地には、かつて白河天皇の御願寺・法勝寺(ほっしょうじ)がありました。
とくに圧倒的な存在感を放っていたのが、池の中島に立つ八角九重塔。高さは約81メートルといわれ、京都市の案内でも80メートルを超える巨大な塔だったと紹介されています。
観覧車がある一帯にも、その歴史が重なっています。今の動物園の風景からは想像しにくいほど、大規模な寺院が広がっていたのです。
院政期の寺院が広がっていた白河・岡崎
法勝寺を含む六勝寺など、院政期の白河・岡崎には皇室ゆかりの寺院が集まっていました。
いただいた放送メモでは、こうした寺院の広がりを手がかりに、南禅寺がさらに東の山際に位置する理由が説明されています。
ここで押さえたいのは、南禅寺は、もともとあった離宮を寺へと改めた場所だということです。周辺に広がる寺院群と離宮の位置を重ねることで、現在の南禅寺の立地が見えてきます。
「土地がなかったから」だけで説明するのではなく、番組が示した当時の土地利用と、離宮を引き継いだ創建の経緯をあわせて見ると、京都の地形と歴史をより深く楽しめます。
発掘調査で龍を発見!?池の水を抜いて見えてきた庭園の姿
今回の大きな見どころが、南禅寺発祥の地である南禅院の庭園です。
いただいた放送メモでは、調査のために池の水を抜くことで、普段は水面に隠れている石組みや池の輪郭が現れ、龍の形をした池が注目されました。
【ロケ地】南禅院の「曹源池」は龍の形
南禅寺の公式案内でも、南禅院庭園の上池は曹源池(そうげんち)と呼ばれ、龍の形につくられていると説明されています。
庭園は鎌倉時代末の池泉回遊式庭園の面影を伝え、亀山法皇の作庭ともいわれています。樹林に包まれた静かな風景のなかに、創建の歴史を読み解く手がかりが残っています。
龍は禅寺で大切にされる存在
東照宮の天井には狩野探幽の龍
あけましておめでとうございます
令和八年が皆々様にとって幸多き
一年となりますように
心からお祈り申し上げます。
令和八年 丙午#南禅寺 #三門 #南禅院 #坐禅 #座禅 #写経 #京都 #日本 #寺院 #禅 #仏教 #nanzenji #kyoto #japan #temple #zen #Buddhism #dronepapa pic.twitter.com/AsXyzRPNZF— 【公式】大本山 南禅寺 (@nanzenji_kyoto) December 31, 2025
龍は、仏教では仏法を守る存在として扱われ、水や雨にも結びつく神獣です。禅寺の法堂などに龍が描かれるのも、こうした意味を持つためです。
池の輪郭を龍に見立てると、庭園は自然を楽しむだけでなく、信仰や願いを表す空間としても見えてきます。
ただし、龍形の池だけで元寇との直接的な関係や作庭者まで確定するわけではありません。今回の番組で紹介された調査の見どころと、寺に伝わる庭園の由来をあわせて理解したいところです。
南禅院を訪ねたい方へ
南禅院は工事のため通常拝観を休止していますが、公式サイトでは2026年11月1日~30日の庭園特別公開が案内されています。
大人の拝観料は500円です。番組で見られた水を抜いた調査中の姿が、そのまま一般公開されるとは限りません。訪問前に公式案内をご確認ください。
応仁の乱で荒廃した南禅寺を復興へ導いたのは?
高い格式を誇った南禅寺も、火災や戦乱を免れることはできませんでした。
室町時代には繰り返し火災に遭い、1467年に始まった応仁の乱の兵火でも大きな被害を受けます。南禅寺周辺や裏山も戦いの舞台となり、伽藍は焼失しました。
その後の復興には長い時間を要します。江戸時代初め、その再興に力を尽くしたのが、徳川家康の政治を支えた以心崇伝でした。
幕府・朝廷との関係が復興を支えた
以心崇伝は1605年、南禅寺の第270世住持となり、その後、家康に招かれて幕政に参加します。
南禅寺の住持でありながら幕府の重要な政務にも関わる立場は、寺の復興を進めるうえでも大きな力となりました。
復興には崇伝だけでなく、皇室や武将、寄進者などの支援も関わっています。たとえば現在の三門は藤堂高虎の寄進によって再建され、南禅院の方丈は後に徳川綱吉の母・桂昌院の寄進で再建されました。
現在の南禅寺の景観は、異なる時代の再建と支援が積み重なってできたものなのです。
徳川家と天皇家をつないだ名僧・以心崇伝の功績とは?
以心崇伝は「金地院崇伝」とも呼ばれる同じ人物です。1569年に京都で生まれ、1633年に亡くなりました。
家康・秀忠・家光の3代にわたる時代に幕府の政治を支え、僧侶でありながら政務に深く関わったことから、「黒衣の宰相」として知られています。
崇伝の主な仕事
| 分野 | 主な役割 |
|---|---|
| 幕府の法令 | 武家諸法度など、幕府の統治を支える法令の起草・制定に関与 |
| 朝廷との関係 | 禁中並公家諸法度の制定に関わり、幕府と朝廷の関係を制度化 |
| 外交 | 外交文書の作成など、対外的な政務を担当 |
| 寺社行政 | 寺院諸法度やキリスト教禁制などに関与 |
| 禅宗の行政 | 僧録として僧侶・寺院に関わる行政を担当 |
| 寺院の復興 | 南禅寺や建長寺の再建・復興に尽力 |
朝廷と幕府を「つなぐ」一方、朝廷の権限も制限
番組のテーマである「徳川家と天皇家をつないだ僧侶」という言葉からは、双方の関係を取り持つ姿が浮かびます。
ただし、崇伝は仲介だけをしていたわけではありません。制定に関わった禁中並公家諸法度は、天皇・公家の行動を規定し、朝廷の権限に制限を加える性格も持っていました。
その功績は、幕府と朝廷の関係を整えたことと、幕府中心の秩序づくりを進めたことの両面から見る必要があります。
1626年、後水尾天皇が二条城へ赴いた寛永行幸も、当時の朝廷と徳川家の関係を考えるうえで重要な出来事です。
武家諸法度は「大名を疲弊させるため」だった?
崇伝が起草に関わった武家諸法度は、大名の行動を規定する幕府の重要な法令でした。城の修築や婚姻などにも統制が及びます。
しかし、これを「各地の大名を疲弊させるために作った」とだけ説明するのは適切ではありません。大名を統制し、幕府の秩序を維持するための制度と捉えるのが基本です。
また、参勤交代が武家諸法度に明文化されたのは1635年で、崇伝の死後です。崇伝が関わった初期の法令と、後年の制度を分けて理解すると、その仕事がより明確になります。
南禅寺になぜ東照宮が?徳川家康と金地院の関係
【ロケ地】金地院 境内の東照宮
金地院
南禅寺の東照宮は、塔頭寺院である金地院(こんちいん)の境内にあります。
塔頭とは、大きな寺院に付属する子院のこと。金地院は、以心崇伝が1605年に現在地へ移した寺院です。
崇伝が建立した家康をまつる社
金地院東照宮は1628年(寛永5年)に造営されました。家康の遺言を受けた建立と伝えられ、家康の遺髪と念持仏が納められています。
念持仏とは、身近に置いて礼拝する仏像のこと。家康の政治を支えた崇伝ゆかりの寺に、家康をまつる社が残るのは、二人の深い関係を示しています。
京都の禅寺と江戸幕府は遠い世界のように思えますが、崇伝という人物を通して、南禅寺は徳川家の歴史とも結びついていたのです。
東照宮の天井にも龍!狩野探幽の「鳴龍」
金地院東照宮は重要文化財に指定されています。拝殿の天井に描かれた鳴龍は狩野探幽の筆です。
南禅院の龍形の池と、金地院東照宮の天井の龍。南禅寺を巡ると、異なる時代・場所に登場する龍にも注目したくなります。
金地院は南禅寺の三門や方丈庭園とは別の拝観場所です。東照宮内部などの公開範囲は、訪問前にご確認ください。
重要文化財・三門の「絶景かな、絶景かな」とは?
南禅寺の象徴ともいえる三門は、高さ約22メートルの大きな門です。別名「天下竜門」、楼上は「五鳳楼」と呼ばれます。
三門という名称は、悟りに至るための空・無相・無作という三つの解脱門に由来します。
現在の三門は藤堂高虎が1628年に再建
【ロケ地】三門
現在の三門は、藤堂高虎が大坂夏の陣で亡くなった家臣の菩提を弔うため、1628年に再建したものです。
重厚な柱や屋根は、写真で見る以上の迫力。楼上からは境内の木々や京都の街並みを見渡せます。
三門の文化財区分は国宝ではなく、国の重要文化財です。
石川五右衛門の名台詞は歌舞伎の世界
三門といえば、石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」が有名です。
これは歌舞伎「楼門五三桐」で知られる場面。五右衛門の処刑は1594年、現在の三門の再建は1628年なので、五右衛門が実際に現在の三門へ登ったという史実ではありません。
歴史と歌舞伎の物語を区別したうえで楼上に立つと、この場所が「絶景」の舞台として親しまれてきた理由を感じられそうです。
湯豆腐でおなじみ!南禅寺と豆腐の関係は?
南禅寺周辺の名物といえば、湯豆腐です。門前には湯豆腐を楽しめる料理店が集まり、参拝と食事を組み合わせる楽しみ方が定着しています。
豆腐は精進料理の大切なたんぱく源
肉や魚を使わない精進料理では、大豆からつくる豆腐が大切な食材でした。京都では寺院文化とともに豆腐料理が発展してきました。
豆腐づくりには水も重要です。京都の良質な水と、禅寺の食文化が、南禅寺周辺の湯豆腐を支える背景になっています。
江戸時代には旅人にも人気だった
湯豆腐の起源には諸説ありますが、南禅寺の湯豆腐は江戸時代には旅人にも親しまれていました。
散策の後に、温かい豆腐をゆっくり味わう。寺院の歴史だけでなく、門前の食文化も南禅寺の人気を支えています。
SNSで人気の国宝・水路閣!成り立ちと用途は?
南禅寺の境内で目を引くのが、赤レンガのアーチが連なる水路閣(すいろかく)です。
【ロケ地】水路閣
和風の寺院建築と西洋風のレンガ橋が同じ風景に収まる、独特の景観。アーチが奥へ重なる構図は、SNSでも人気の撮影スポットになっています。
明治時代京都のためとはいえ境内を分断するよう建設される水路に対し様々な意見がありましたが、今では南禅寺を代表する景色にその水路閣が国宝に指定されることになりました。当時の方々の色々な思いを感じながら見る水路閣は一段と威風堂々としております。#水路閣 #琵琶湖疏水 #南禅寺 pic.twitter.com/ctZisU7Whq
— 【公式】大本山 南禅寺 (@nanzenji_kyoto) May 22, 2025
1888年完成、今も水が流れる水路橋
水路閣は、琵琶湖の水を京都へ運ぶ琵琶湖疏水の分線に設けられた水路橋です。
- 完成:1888年(明治21年)
- 構造:レンガ造りの14連アーチ橋
- 長さ:約93.2メートル
- 設計・デザイン:田邉朔郎
- 用途:上部の水路で琵琶湖疏水の水を運ぶ
琵琶湖疏水の第一疏水全体が完成した1890年と、水路閣自体の完成年は異なります。
水路閣は歴史的な展示物というだけではありません。現在も上部の水路を水が流れる、現役の土木施設です。
明治維新後の京都を支えた琵琶湖疏水
明治維新後、東京へ政治の中心が移った京都では、都市と産業の再興が大きな課題になりました。
その復興を支えたのが、京都府知事・北垣国道らが推進した琵琶湖疏水です。水を引くことで、水車や発電、農業用水、防火、舟運、後の上水道など、多様な利用につながりました。
田邉朔郎は、南禅寺の景観にも配慮して水路閣を設計しました。完成当時は新しかった西洋風の構造物が、今では南禅寺を代表する風景の一つになっています。
「水路閣の役割」と「疏水全体の役割」を分けて理解
琵琶湖疏水全体は、現在も京都の水道や発電などを支えています。一方、水路閣はそのうち疏水分線の水を通す橋です。
そのため、「京都の飲料水がすべて水路閣を通る」「疏水の舟が水路閣の上を通った」と捉えるのは正確ではありません。
水路閣の見学では、京都の近代化を支えた大きな水のネットワークの一部を、間近に見ているのです。
2025年に国宝へ!写真映えの奥にある歴史的価値
水路閣は2025年8月27日、「琵琶湖疏水施設」の一つとして国宝に指定されました。
人気の理由はレンガの美しさだけではありません。明治の技術と京都復興の歴史を、現役の施設として伝えている点にも価値があります。
撮影の際は通行する人に配慮し、橋脚によじ登ったり、水路へ入ったりせず、現地の案内に従って楽しみましょう。
南禅寺の場所・アクセス・拝観料金
| 寺院名 | 臨済宗大本山 南禅寺 |
|---|---|
| 住所 | 京都府京都市左京区南禅寺福地町 |
| 電話番号 | 075-771-0365 |
| 電車でのアクセス | 京都市営地下鉄東西線「蹴上駅」から徒歩約10分 |
| バスでのアクセス | 「東天王町」または「南禅寺・永観堂道」下車、徒歩約10分 |
| 通常の拝観時間 | 3~11月:8:40~17:00 12~2月:8:40~16:30 受付は終了20分前まで |
| 三門 | 一般600円/高校生500円/小中学生400円 |
| 方丈庭園 | 一般600円/高校生500円/小中学生400円 |
| 水路閣 | 見学無料。現地の立入規制・案内に従ってください。 |
| 南禅院 | 通常拝観休止中。2026年11月1~30日に庭園特別公開の案内あり。大人500円。 |
| 年末の拝観 | 12月28~31日は一般拝観休止 |
| 駐車場 | 有料駐車場あり。秋の混雑期は利用区分が変わる場合があります。 |
※三門と方丈庭園の拝観料はそれぞれ必要です。金地院は別途拝観となります。時間・料金・公開範囲は変更される場合があるため、訪問前に最新情報をご確認ください。
ブラタモリ南禅寺のよくある疑問
南禅寺の三門は国宝ですか?
三門は国の重要文化財です。境内を通る水路閣は、2025年に「琵琶湖疏水施設」の一つとして国宝に指定されました。
なぜ南禅寺に徳川家康をまつる東照宮があるのですか?
家康を支えた以心崇伝ゆかりの塔頭・金地院に、家康をまつる東照宮が建立されたためです。家康の遺髪と念持仏が納められています。
以心崇伝と金地院崇伝は同じ人ですか?
同じ人物です。南禅寺の住持を務め、幕府の法令や外交、寺社行政などに関わった「黒衣の宰相」として知られています。
発掘調査で本物の龍が見つかったのですか?
南禅院の池の輪郭が龍の形になっているという話です。公式案内でも、上池の曹源池は龍形につくられていると紹介されています。
水路閣には今も水が流れていますか?
はい。上部の水路では現在も琵琶湖疏水の水が流れています。
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まとめ|南禅寺が人気なのは、絶景の奥に歴史があるから
南禅寺には、亀山法皇の願いを伝える創建の歴史、三門からの絶景、門前の湯豆腐、そして国宝・水路閣という多彩な魅力があります。
さらに、金地院の東照宮と以心崇伝を知ることで、皇室ゆかりの禅寺と徳川家が、同じ境内でつながっていることがわかります。
龍の形をした池やレンガのアーチも、その背景を知ると見え方が変わります。ブラタモリをきっかけに、南禅寺の風景に重なる歴史をたどってみてはいかがでしょうか。