ブラタモリ奈良・飛鳥SP|酒船石で国家の方針を占った?「石」で巡る国づくりのロケ地
ブラタモリ奈良・飛鳥SP|酒船石で国家の方針を占った?「石」で巡る国づくりのロケ地
2026年9月26日放送の「ブラタモリ」は、世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の登録を記念した奈良・飛鳥SP。2020年放送の「奈良・飛鳥」を特別再編集し、「なぜ飛鳥は日本の国の礎となったのか?」という謎に迫りました。
舞台は田園風景が広がる奈良県明日香村。石舞台古墳の巨石、飛鳥寺を支えた礎石、水時計を備えた水落遺跡、そして用途が謎に包まれた酒船石。番組は各地に残る「石」を手がかりに、飛鳥の国づくりをたどります。
※「酒船石で国家の方針を占った」という見方は、番組で紹介された推理です。酒船石の具体的な使い方が確定したわけではありません。
この記事でわかること
- 石舞台古墳の巨石が物語る蘇我氏の力
- 飛鳥寺の礎石と飛鳥大仏
- 水落遺跡の水時計「漏刻」
- 石神遺跡の須弥山石・石人像
- 石材運搬と結び付けられる狂心渠
- 酒船石で国家の方針を占ったという推理
- タモリさんが語った「土地の記憶」
オープニングのロケ地は若草山山頂
番組は奈良盆地を見渡せる若草山からスタート。飛鳥が位置する盆地南部へと視線を移し、約1400年前の国づくりを追います。案内人は日本考古学を専門とする奈良大学の相原嘉之教授。飛鳥寺からは、奈良文化財研究所・飛鳥資料館の西田紀子さんが案内しました。
飛鳥宮跡|乙巳の変が起きた宮殿の地
飛鳥宮跡は、飛鳥時代の宮殿が重なって営まれた場所です。番組で取り上げられた飛鳥板蓋宮は、645年の乙巳の変の舞台。蘇我入鹿が皇極天皇の前で中大兄皇子や中臣鎌足らに討たれ、政治が大きく動きました。
現在見られる遺構を、事件当日の宮殿がそのまま残っているものと考えず、幾度も造り替えられた飛鳥の宮殿群の跡として歩くと、土地の重層的な歴史が見えてきます。
石舞台古墳|巨石が示す蘇我氏の圧倒的な力
石舞台古墳では、盛土を失った巨大な横穴式石室を間近に見られます。7世紀初めごろの古墳で、被葬者には蘇我馬子が有力視されていますが、確定はしていません。
大きな石を切り出し、運び、精密に積み上げるには、多くの人々と高度な土木技術が必要です。番組ではこの巨石群から、蘇我氏が持っていた力の大きさを読み解きました。
所在地:奈良県高市郡明日香村島庄254付近。現地の公開時間・料金や交通機関の運行は、訪問前に確認してください。
飛鳥寺|礎石と飛鳥大仏に残る国づくりの技術
蘇我馬子によって造営された飛鳥寺は、日本最初の本格的な仏教寺院とされます。瓦屋根の重い建物を支えるため、地面に据えた礎石の上に柱を立てる技術が使われました。柱を地面に直接埋める建物とは異なる、当時の新しい建築の姿です。
創建時の伽藍は、塔を中心に三つの金堂を配する「一塔三金堂」の配置。飛鳥寺の北側にある来迎寺付近には、かつての講堂に関係する礎石が残ります。礎石を見つめると、大陸から伝わった技術を取り入れて大きな寺院を築いた時代が身近になります。
現在の飛鳥寺の本尊「飛鳥大仏」は、銅造釈迦如来坐像。造立年代が明らかな仏像として日本最古とされ、現在も創建以来の場所に鎮座すると伝えられています。蘇我氏が仏教を重視した国づくりを考えるうえでも重要な存在です。
飛鳥水落遺跡|日本最古の水時計「漏刻」
斉明天皇の時代、中大兄皇子が造ったと『日本書紀』に記される水時計が漏刻(ろうこく)です。水落遺跡では、水を使って時を測る施設に関係する建物跡や導水施設が発見されました。
一定の速さで流れる水の量から時刻を測り、鐘や太鼓で人々に時を知らせる。時計は便利な道具であると同時に、都で共通の時刻を定めて伝える仕組みでもありました。番組は、時間の管理を国づくりの重要な一歩として取り上げています。
水時計の仕組みを詳しく見たい方は、近くの飛鳥資料館にある漏刻の復元展示案内も参考になります。
石神遺跡|水を噴き出す須弥山石と石人像
水落遺跡の北側にある石神遺跡からは、須弥山石と石人像が出土しました。いずれも水を流す仕組みを持つ石造物と考えられています。須弥山石は仏教世界の中心にある山を表した名で呼ばれ、飛鳥資料館で見ることができます。
石神遺跡は、使節を迎える饗宴の場だった可能性も論じられています。水を利用した石造物と、近くに築かれた水時計。飛鳥の人々が取り入れた技術の幅広さが伝わる場所です。ただし、施設の具体的な使い方や水落遺跡との運用上の関係には、なお研究が続いています。
狂心渠|大量の石を運ぶための大工事
斉明天皇の時代の大工事として『日本書紀』に記されるのが、狂心渠(たぶれごころのみぞ)です。山に築く石垣の石を運ぶために溝を掘らせたとされ、その規模と労力を批判する呼び名が伝わっています。
番組では、田園の地形に残る水路の痕跡から、巨石を運び、景観を作り替える国づくりを考えました。古代の工事の全経路や目的には未解明の点があるため、現在見える溝や水田のすべてを当時の水路と断定することはできません。
酒船石|国家の重要な方針を占った?
飛鳥の丘の上にある酒船石(さかふねいし)は、表面に丸いくぼみと、それらを結ぶ溝が彫られた大きな石です。「酒」の名が付くものの、実際に酒造りに使ったと確認されたわけではありません。
周辺で水を使う施設が見つかったことから、酒船石遺跡一帯は祭祀に関わる場と推定されています。しかし、酒船石の上に何を流し、どのような手順で使ったのかは分かっていません。
番組では相原教授が、くぼみに水を張って笹舟を浮かべ、その進む方向で国家に関わる重要な方針を占ったのではないかと推理しました。謎の石に意味を与える興味深い考察ですが、発掘調査で立証された用途ではありません。「何に使ったのだろう」と現地で石の溝を見ながら考えること自体が、飛鳥を巡る楽しさです。
「地名というのは土地の記憶」|水落という名前が残した手がかり
番組で印象に残るのが、タモリさんの「地名というのは土地の記憶」という言葉です。「水落」という地名は、かつて水を使う施設があった土地に残りました。発掘調査によって水時計の遺構が明らかになり、地名と地下の歴史がつながったのです。
石舞台古墳の巨石、飛鳥寺の礎石、水落遺跡の水の技術、そして酒船石。田園の中に点在する遺跡を歩くと、教科書で別々に学んだ出来事が、一つの土地の物語として見えてきます。
まとめ|飛鳥に残る「石」をたどると国づくりが見える
石舞台古墳は豪族の力を、飛鳥寺の礎石は新しい寺院建築を、水落遺跡と石神遺跡は水を扱う技術を伝えます。狂心渠の大工事と用途不明の酒船石も、斉明天皇の時代を考える手がかりです。
「なぜ飛鳥は日本の国の礎となったのか?」。ブラタモリ奈良・飛鳥SPは、飛鳥の土地に残った石から、その問いを解きほぐしていきました。