ファミリーヒストリー いとうあさこの祖先は渋沢栄一と縁がありスチール家具で財を成した!再放送や見逃し動画配信とネタバレと家系図!
今回のファミリーヒストリーは「いとうあさこ~チャレンジ精神は先祖譲り!?~」と題し、お笑い芸人・いとうあさこさんのルーツに迫りました。
19歳で家出し、その後、お笑いの世界で人生を切り開いたいとうさんの意志の強さは、先祖譲りだったのではないか?
と感じさせられるエピソードが余貴美子さんにより語られました。
祖父は大手銀行マンと発明家でスチール家具で成功した大物実業家で、父方母方ともに大物実業家で日本資本主義の父・渋沢栄一とゆかりがある事が判明しました。
この投稿では、ファミリーヒストリー・いとうあさこさんの放送内容のレビューと見逃し動画配信をご案内します。
【本放送】2022年6月27日(月曜日)19時30分~20時42分 (72分)
【再放送】無し
ファミリーヒストリーの動画をお探しの方は見逃し配信で観ることが可能ですよ♪
「ファミリーヒストリー いとうあさこ」あらすじ
祖父の家はプライベートプール、小学校からは名門雙葉学園です。
いとうあさこさんの父方「伊藤家」の家系図
「伊藤家」の家系図
【曽祖父】正治
【祖父】啓介(吉田啓介)18歳で伊藤家に養子入
埼玉県・寄居町の出身
【祖母】みち
【父】新造(銀行取締役)
【母】美惠
伊藤家に養子として迎えられた吉田家は、元々武家でした。
3代目一郎兵衛忠茂は、江戸に出て幾瀬意悦(いえつ)という名医に師事し、医師となり幾瀬の性を名乗るようになった事が家系図から判りました。
その為、医師になるものは幾瀬の性を名乗りました。
吉田の性は分家が名乗るようになったとの事です。
曽祖父・正治
役所勤めで、49歳で他界しました。
その為、残された将来、いとうあさこさんの父となる当時10歳の啓介さんを含む6人の子供は、長女・つねの夫、幾瀬量(はかる)さんを頼るようになったそうです。
幾瀬量さんは、どんな遠くへも往診に行けるよう6匹ほどの犬に自転車を引かせる姿で有名でした。
人格が素晴らしく埼玉県大里郡 寄居町 岩崎公園の一角には銅像が建つほどの人物でした。
実子に加え、吉田家の小友達も学校に行かせていたので医師であっても生活は楽ではなかったそうです。
啓介さんの姉(次女)のベンさんは、埼玉の伊藤新作氏(幾瀬量の先輩)の元で花嫁修業をしていたそうです。
啓介さんも度々伊藤家を訪れていたそうです。
啓介さんは、マサチューセッツ大学を卒業し、アメリカで雑貨店を営んだ後、帰国した経歴に日本資本主義の父・渋沢栄一が目をつけたそうです。
そして渋沢栄一が明治22年設立した日本煉瓦製造株式会社に初代営業部長として、迎え入れられました。
高品質に拘り、東京駅を始め、赤坂離宮、丸の内ビル街の建設に煉瓦を供給しました。
煉瓦作りの建物が多く、丸の内は一丁倫敦と呼ばれていたそうです。
伊藤新作さんは、大正8年(1919年)脳溢血で他界してしまいました。
伊藤新作さんの妻・乃ふさんに生前旧制中学を卒業したら啓介さんを養子に向かるよう伝えており、遺言の通り伊藤家に18歳で養子入りが決まりました。
そして啓介さんは、東京帝国大学(現・東京大学)経済学部に入学しました。
大学を卒業すると昭和3年、三井銀行に入行しました。
秘書課長に昇進後、結核を患い、将来を息子で将来いとうあさこさん父となる新造さんに託しました。]
いとうあさこさんの母方「田嶋」の家系図
「田嶋家」の家系図
【高祖父】宇太郎
【高祖母】つね
【曽祖父】勝次郎
【祖父】恩(めぐみ)
【祖母】美惠
【父】新造
【母】美惠
江戸時代中期から8代に渡り浅草の東本願寺(1591年創建・浄土真宗東本願寺派本山)に仕えた侍の家系ということが家系図から判明しました。
現存の緑泉寺のとなり辺りの長屋に住む自侍で、護衛や警護に当たっていたと考えられています。
幕末の宇太郎の代(4代前)に酔った勢いで地蔵を飛び越え様として、地蔵を倒し、足の小指の先を挟み流血が止まらず寝たきりになるという事故が起こりました。
これで伊藤家は、寺侍をお役御免となってしまいました。
宇太郎の妻・つねは、裁縫の内職で食いつないだそうです。
宇多頭は、明治28年この世を去り、曽祖父・勝次郎が一家を支えることとなりました。
曽祖父・勝次郎
曽祖父・勝次郎は、時計の修理を生業としていました。
子供が5人もいたため、生活は苦しく貧乏でした。
器用で頭が良かったので発明で一儲けを考えました。
貧乏暮らしの中で発明に没頭し、こんにゃくを使って船や、ベニアを赤く塗って高級なマホガニー調に見える木など、さまざまなアイデア商品を発明するも事業はことごとく失敗。
ますます生活は苦しくなり、家族は迷惑していたそうです。
長男の壹号(いちごう)は、スチールサッシを日本で始めて製造したそうです。
煉瓦で建物を作る時代で、スチールサッシは輸入に頼っていました。
家族で会社を立ち上げ4年がかりで工場を建設し、田島式スチールサッシ製造の特許も取得しました。
しかし、大正12年(1923年)関東大震災により被災し家族は悲嘆に暮れました。
祖父恩
杜氏歳の祖父恩は、関東大震災をきっかけに燃えない家具を作れば売れると発想を持ちました。
震災の翌年、スチール家具の製造販売工場を立ち上げ、本棚、ロッカーなどスチール家具の販売を始めました。
しかし、木製家具の温かみがない、とまったく売れなかったそうです。
そんな中、曽祖父・勝次郎のベニアを赤く塗って高級なマホガニー調に見せる役に立たない発明を思い出しました。
その手法でスチール家具でも木目調に見える塗装を開発し、軽くて丈夫、火災に強いというスチールの良さも受け入れられ
小樽銀行や東京株式取引所、三越呉服店、東京帝国大学などに納品されるまでになりました。
渋沢栄一が80歳のお祝いに建てられた図書館・青淵文庫(大正14年・1925年竣工)に現在も、ホーロー加工の書棚・田島式自在書架が残っています。
[instagram url=https://www.instagram.com/p/CVpxrbLvz55/ width=400 hidecaption=true]天板から天井にレールが連結されており、地震で転倒しない設計になっています。
浅草の寺侍から発明を通じて時代をリードする家具メーカーとなり、発明魂で財をなし、自宅にプールを作るほど大成功を収めました。
早稲田大学卒業後、4歳年上で銀行マンの伊藤新造さんと昭和40年(1965年)見合い結婚しました。
結婚後五人の子供に恵まれ末っ子が三女の美惠さんで将来のいとうあさこさんの母となります。
まとめ
父方も母方も祖父まで遡ると、仕事を通じ、あの偉人渋沢栄一さんと縁があったという奇跡がありました。
発明で生活苦から抜け出そうと奮闘していた母方の曽祖父・勝次郎さん発明は失敗に終わったものの、息子たちが勝次郎さんのアイデアからヒントを得て商品を生み出し、ばく大な富を築くという逆転劇がとても痛快な家族の歴史でした。
発想の着目点のみならず、そのチャレンジ精神などもひ孫であるあさこさんの代まで受け継がれていたことが印象に残りました。
ファミリーヒストリー見逃し動画配信
ファミリーヒストリー「いとうあさこ」は2022年6月27日です。
再放送は未定なので見逃した方や、もう一度ご覧になりたい方は、見逃し動画配信がオススメですよ~♪
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