ファミリーヒストリー ハリセンボン・近藤春菜の祖父は小田急電鉄駅長で戦闘機疾風の整備員!見逃し動画配信とネタバレと感想!
今回のファミリーヒストリーは「ハリセンボン近藤春菜 世の中のために尽くす覚悟をもって」と題し、女性お笑いコンビハリセンボン近藤春菜さんのルーツに迫りました。
近藤春菜さんは東京都狛江市出身で、祖父はその沿線の小田急電鉄に勤め駅長まで上り詰めたそうです。
太平洋戦争では、若き整備兵として防空を担った陸軍の最高傑作キ84戦闘機四式戦闘機「疾風」のメンテナンスを行っていました。
その祖父は生前、自らの半生を自叙伝に残していました。
その自叙伝には家族や仕事への思いがあふれていました。
この投稿では、ハリセンボン近藤春菜さんの放送内容のレビューと見逃し動画配信をご案内します。
【本放送】2020年11月23日(月曜)19時30分~20時42分
【再放送】2020年11月26日(木曜)23時45 ~ 0時57分
【次回ファミリーヒストリー】長谷川博己 2021年1月4日(月曜)19時30分~20時42分
動画をお探しの方は見逃し配信で観ることが可能ですよ♪
ハリセンボン近藤春菜さんの父親方の家系図
ハリセンボン近藤春菜さんのご両親は
父・敏文さん
母・律子さんです。
父・敏文さんは春菜さんと同じく東京の郊外狛江市の出身です。
しかし、祖父・敏明さん(7年前に没)は、神奈川県秦野市のご出身です。
高祖父・長五郎さんは神奈川県秦野市で、葉たばこ専売局(秦野専売支局)に収めに来る農家を当て込んで料理屋を営んでいたそうです。
お店は長五郎さんの娘キミさんと営業していたそうです。
キミさんは、そのお店の常連の大津春吉さんと出会い結婚をするつもりでしたが、近藤家・大津家ともに両親から認められなかった為、駆け落ち同然に家を出て二人で大津屋という宿を経営したそうです。
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曽祖母・キミ – – 曽祖父・ 大津春吉(お店の常連)
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祖父・敏明(昭和3年生まれ・キミの三男)
昭和11年(1936年)南秦野尋常高等小学校入学
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父・敏文 昭和29年(1954年生まれ)
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春菜
子供を9人もうけましたが、両家の両親の反対で籍を入れる事はなかったそうです。
将来、近藤春菜さんの祖父となる三男の敏明さんは、成績優秀で先生からも進学を薦められ、本人も旧制中学(現在の高校に該当)に進学を希望しましたが、母親から経済的な理由で反対されてしまったそうです。
そこで、敏明さんが考えたのが軍隊に入り、士官学校に入る事でした。
時は太平洋戦争の最中で自分より勉強出来ないのに進学出来た同級生も、いずれは招集されるはずだから、その前に軍隊に入り下士官になっていれば後に招集される進学組よりも地位的にも上に立って見返せると考えたみたいですね!
この頃、学校で成績が優秀なのに経済的な理由で進学出来ず、軍隊に入り士官を目指し勉学に励む男子は珍しく有りませんでした。
本土防空に活躍した海軍のエースパイロット菅野直中尉もその一人で経済的な理由から大学進学が叶わず、大学と同じ身分の今で言う防衛大学の海軍兵学校に入学した例も有ります。
本土の防空を担う
敏明さんは、昭和18年(1943年)陸軍少年飛行兵第17期生として旧日本陸軍に入隊しました。
大津陸軍少年飛行学校を皮切りに
翌年埼玉県の所沢陸軍航空整備学校第11中隊しました。
配属された第11中隊は、防空を担う決戦機キ84四式戦闘機疾風専門の中隊でした。
その後、陸軍飛行第23戦隊(印旛飛行場)へと配属されましたが、防空の拠点でもあった事もあり、アメリカ軍の空母艦載機グラマンF4Fヘルキャットの機銃掃射を連日受け、部下が目の前で銃撃を受け戦死し、自分もスレスレで生き延びたそうです。
そして1945年(昭和20年)8月15日、運命の終戦を迎えました。
春菜さんは、祖父は町内会でもリーダー的存在で引っ張っていく存在で、数多の良さを感じていたそうです。
復員し小田急電鉄へ入社
敏明さんは解隊後、秦野市に復員し、
昭和22年(1947年)現在の小田急電鉄に入社したそうです。
数年後勤めていた喜多見駅に洋裁学校への通学の為、定期券を購入に来たのが、その後に妻となる蘇我文代さんでした。
通勤用定期を購入した文代さんをわざわざホームまで追いかけ学割の効く通学定期を勧めてくれた事がキッカケになり交際が始まったそうです。
両国の花火大会に誘うなど交際は順調に進み、昭和27年(1952年)結婚しました。
敏明さん23歳、文代さん19歳という若さでした。
近藤春菜さんの父親が誕生
そして2年後に長男・敏文さん、後の近藤春菜さんの父親・敏文さんが誕生しました。
敏明さんは、この頃には車掌になっていました。
学校を出ていないのに、指導主任を任されるなど会社から高評価を得ていた様ですね!
良き父親
それだけでなく家に変えると息子の敏文さんの面倒を見る事も忘れなかったそうです。
敏文さんにとって
「良きパパ」との印象が残り、
「将来はこんな父親になりたい」
と感じていたそうです。
職場では「憲兵」や「オヤジ」と呼ばれた
一方、会社では後輩の指導に厳しく「憲兵」(戦争中の軍隊内部の秩序・規律を守る厳しい警察の様な役職)と呼ばれていたそうですよ。
その反面、部下を大切に扱い仕事が終われば部下からオヤジと親しまれていたそうです。
部下からの信頼を得ていたエピソードとして、新潟からお嫁さんを連れてきて住む場所がない部下の為、自宅の庭に一軒家を建ててしばらく間すまわせたそうなんですよ!
駅長に昇進
仕事も順調に昇進し、昭和48年(1973年)小田急最大のターミナル新宿の助役を努めました。
そして昭和49年(1974年)には長後駅駅長に45歳という異例の若さで昇進したそうです!
奥さんには、これでシフト業務から開放され決まった時間に帰れる、と報告しました。
「これで若ければアメリカの映画だったら抱き合うんだけどね・・・」と照れたそうですよ(笑)
この頃になると、相変わらずの面倒見の良さからオヤジオヤジと慕って若い駅員が家に集まったそうでうす。
近藤春菜さんの幼い頃の印象は、町内のまとめ役として常に人の為尽くし、頭の回転が早いおじいちゃんという印象があったそうです。
春菜さんの父親となる息子の敏文さんは、そんな敏明さんを尊敬しており、人の為になりたい、という想いで警察官の道を歩みました。
春菜さんの父親となる息子の敏文さんと母親方原家のルーツに関しては別ページにまとめました。
ハリセンボン・近藤春菜の父は警視庁捜査二課の刑事で相棒のモデルはガセ!
まとめ
若くして小田急電鉄の駅長になるなど、仕事が出来るだけでなく部下に慕われ、家庭も大切にするなんて人として非の打ち所がないですね!
ファミリーヒストリーの動画
今回ファミリーヒストリー・ハリセンボン近藤春菜を見逃した方は動画をNHKオンデマンドの配信で観ることが可能ですよ♪
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