ファミリーヒストリー武井壮の家系図|生き別れた母親との再会は?

ファミリーヒストリー武井壮の家系図|生き別れた母親との再会は?

2026年9月22日放送のNHK『ファミリーヒストリー 武井壮 ~生き別れた母の行方~』では、越後の武士につながる家系と、9歳で生き別れた母・京子さんのその後が明かされました。

母親と生前に直接再会することはかないませんでした。番組の取材で母の晩年や息子を思う気持ちを知った武井壮さんは、母の月命日に墓前を訪れています。この記事では、家系図から母との再会まで、番組で紹介された歩みを整理します。

この記事でわかること

  • 所右衛門さんから武井壮さんにつながる家系図
  • 「林」から「武井」に姓が変わった理由
  • 祖父母と父母、兄・情さんの歩み
  • 生き別れた母との再会がどう実現したか

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武井壮さんの家系図|林家から武井家へ

番組でたどった父方の系譜は、林所右衛門さん → 林茂太さん → 林武さん → 武井新造さん → 武井司さん → 武井壮さんという流れです。曽祖父の武さんは、武井けささんと結婚後に武井姓を名乗るようになりました。

続柄 名前 番組で紹介されたこと
高祖父より前 林所右衛門 御椀役・味噌奉行を務めたとされる
高祖父 林 茂太 高田藩榊原家に仕えた下級武士
曽祖父・曽祖母 林 武/武井 けさ 結婚後、武は武井姓を名乗った
祖父・祖母 武井 新造/み祢 北海道を経て山梨で大家族を支えた
父・母 武井 司/京子 東京で出会い、1970年に結婚
本人 武井 壮 1973年生まれ
武井壮家系図
武井壮家系図

祖先は越後・高田藩の下級武士だった

戸籍調査などから、武井壮さんの父方の祖先は現在の新潟県上越市南城町周辺に暮らした林家へとつながりました。高田城下で、代々藩に仕えた家だったといいます。

所右衛門さんの「御椀役」と「味噌奉行」とは?

番組で紹介された所右衛門さんの役目は、御椀役や味噌奉行。御椀役は食事に使う器や膳に関わり、味噌奉行は味噌の調達や管理に関わる役目として紹介されました。華やかな戦場の仕事とは異なりますが、藩の暮らしを支える重要な裏方です。

高祖父・林茂太さんは米8石の俸禄を受けた

江戸時代後期の高祖父・林茂太さんは、米8石の俸禄を与えられた下級武士。高田城下の南會所長屋で暮らし、幕末まで高田藩榊原家に仕えたといいます。番組では「定番(じょうばん)」の役目も紹介されました。

明治維新で武士の仕事が失われると、林家の暮らしも変わります。茂太さんの三男として生まれた武さんが、後に武井壮さんの曽祖父となりました。

曽祖父・武さんが「武井」姓になった理由

武さんは幼いころ、群馬県へ養子に出されました。その後、群馬県安中市の農家に生まれた武井けささんと結婚し、武井姓を名乗るようになったといいます。現在の「武井」姓は、この曽祖父母の結婚につながっているのです。

大正4年(1915年)、2人の間に後の祖父・新造さんが誕生しました。

祖父・新造さんと祖母・み祢さん|北海道から山梨へ

新造さんは18歳で仕事を求めて東京へ出て、江戸切子の職人になりました。み祢さんには当時許嫁がいたものの、新造さんを選び、2人は北海道へ。番組では、北海道美唄市での生活が紹介されています。

昭和17年(1942年)、新造さんは美唄の炭鉱で電気工事を担当し、立坑櫓の整備にも携わりました。昭和21年(1946年)には、武井壮さんの父となる司さんが生まれます。

その後、山梨に暮らしていたみ祢さんの兄が急逝。み祢さんの願いで兄の子どもたちも引き取り、昭和27年(1952年)に山梨県の塩山上萩原へ移りました。電気・ガス・水道がない土地で、番組によると8畳一間の小屋に13人が暮らした時期もあったそうです。

新造さんは鶏小屋を作って鶏を育て、卵の行商を始めました。幼い司さんも水汲みを担い、片道約5キロの道を通学。武井壮さんは、父がその道を走っていたと聞き、足の速さにつながったのかもしれないと語っています。

父・司さんと母・京子さんの出会い

司さんは中学卒業後、集団就職で上京。工場で働きながら定時制高校を卒業し、美容師として成功した姉の勧めで美容専門学校へ進みました。卒業後は東京・葛飾区お花茶屋の姉の店で働きます。

一方、京子さんは和歌山県田辺市で育ち、ピアノを習っていました。東京への旅行中に司さんと知り合い、交際を経て昭和45年(1970年)に結婚。翌年に長男・情さん、昭和48年(1973年)に次男・壮さんが生まれました。

司さんは美容院のオーナーとなり、店は繁盛しました。しかし、家庭では両親の口論が増え、やがて子どもたちの生活は大きく変わります。

生き別れた母・京子さんとの再会は?

東京駅での別れが、母を見た最後になった

壮さんが9歳のころ、京子さんは「1週間、実家に帰る」と話し、東京駅へ。見送りの際に母が涙を流す理由を、壮さんには分かりませんでした。後に両親の離婚を知り、東京駅での姿が生前に母を見た最後となりました。

番組では、京子さんが一度東京へ戻り、離れた場所から兄弟を見守っていたことも明かされます。声をかければ離れられなくなると思い、姿を見せられなかったという話でした。

母のその後が判明|生前の再会はかなわず

番組の取材により、京子さんは後に元警察官の林重男さんと再婚し、穏やかに暮らしていたことが分かりました。江戸川区の幼稚園で子どもたちにピアノを教えていた時期もあり、林さんは東京ドームへ野球を見に行き、弁当を食べた思い出などを語っています。

京子さんは闘病の末、2025年12月1日に76歳で亡くなっていました。壮さんが母の行方を知ったとき、直接会うことはすでにできませんでした。林さんが遺品を整理すると、壮さんを扱った記事の切り抜きが残されていたといいます。

武井壮さんは、母が自分の歩みを見ていたこと、温かい人と幸せに暮らしていたことを知りました。そして母の月命日である9月1日、林さんと一緒に墓を訪れ、手を合わせました。番組でいう母との「再会」は、母の足跡と思いに触れ、墓前で向き合う形で実現したものです。

兄・情さんと支え合った少年時代

母と別れた後、父も家を空けることが多くなり、兄弟は2人で暮らしを支えました。壮さんは近所のごみ出しを手伝って小遣いを得たり、自炊をしたりして生活。成績による学費免除を得て学校に通い、野球にも打ち込みました。

家計が苦しい時期には電気が止まることもあり、野球部の指導者の家で勉強し、食事を分けてもらったといいます。兄の情さんは、弟を高校へ進ませたいと働く一方、俳優を目指して坂上忍さんの付き人を務めました。

壮さんが大学生のとき、情さんの病気が分かります。兄は母との再会を願いましたが、それはかないませんでした。情さんは平成7年(1995年)8月12日、24歳で亡くなります。

武井壮さんは兄の死を受け、20代はスポーツに打ち込み、30代からは兄が果たせなかった芸能の道にも挑もうと決めました。十種競技での優勝を経て、やがて「百獣の王」として知られる存在になっていきます。

父・司さんとの関係、その晩年

父・司さんとは、情さんの病気をきっかけに関係が修復されました。晩年は壮さんの事務所で運転手として働き、令和4年(2022年)に75歳で亡くなったと番組では紹介されています。

まとめ

武井壮さんの家系は、越後の林家から、所右衛門さん、茂太さん、武さんへとつながり、武さんとけささんの結婚を経て武井家へ続きます。祖父母が築いた大家族の暮らし、兄と支え合った少年時代も、現在の武井さんにつながる大切な歴史です。

9歳で生き別れた母・京子さんとの生前の対面は実現しませんでした。それでも、母が息子の記事を大切に残していたことを知り、墓前で手を合わせた武井さん。家族の歩みを知ることが、長年抱えてきた思いを解く時間となりました。

出典:NHK『ファミリーヒストリー 武井壮 ~生き別れた母の行方~』(2026年9月22日放送)、提供された番組視聴メモ、Gガイド番組情報。引用部分は抑え、内容を要約・再構成しています。

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Posted by morimori