遠山昌子 元宝塚タカラジェンヌ カリカリ梅 赤城フーズ社長 幸せいっぱい自己流ライフ!サタプラ

10月 1, 2022

サタプラの幸せいっぱい!自己流ライフでは、元タカラジェンヌでカリカリ梅・赤城フーズの遠山昌子社長一家の生活が紹介されます。

“自分の生き様”を貫き、幸せ一杯に暮らしている家族のライフスタイルに密着するコーナーで、今回は
に密着し“幸せな生き方”を学びます。

自己流ライフ…カリカリ梅社長は元タカラジェンヌ

“自分の生き様”を貫き、幸せ一杯に暮らしている家族のライフスタイルに密着。今回の舞台は群馬県前橋市。
元タカラジェンヌで、カリカリ梅を世界で初めて開発した「赤城フーズ」の6代目社長・遠山昌子さんから“幸せな生き方”を学びます。

今回は
・赤城フーズの6代目社長・遠山昌子プロフィール
・遥海おおらプロフィール
・自分自身をブランディングした「梅ジェンヌ」
・熱中カリカリ梅
・家族構成
・祖父秀雄さんの言葉を糧に
についての投稿です。

放送日:2022年月日(土)7時58分~9時25分

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赤城フーズの6代目社長・遠山昌子プロフィール

今回自己流ライフで紹介される家族は、創業明治26年(1893年)の老舗・群馬県前橋市「赤城フーズ」の6代目社長・遠山昌子さん家族です。

遠山昌子社長は、経歴がユニークで、宝塚歌劇団の宙組(そらぐみ)・男役の元タカラジェンヌで、2000年(86期生)で、同年花組公演「源氏物語 あさきゆめみし/ザ・ビューティーズ!」で初舞台を経験しています。

「赤城フーズ」は世界で初めて「カリカリ梅」を開発した会社です。

カリカリ梅は、1971年に当時の社長(遠山昌子社長の祖父)により世界で初めて商品化されました。

現在、数社からカリカリ梅は販売されていますが、遠山昌子社長の祖父は、カリカリの製法を広め、群馬県が誇る名産品にしたかったことから商標登録を行わなかったそうです。

遠山昌子社長が、宝塚歌劇団を退団し、赤城フーズの跡継ぎになったきっかけは、祖父・秀雄さんが倒れた事でした。

当時、5代目にあたる父親が赤城フーズを経営していましたが、父の後継者にあたる兄2人は別の道に進んでいたため、祖父は会社の将来を憂いていたそうです。

その頃、遠山昌子社長は、入団時32番だった成績も8番に工場し、自分のやりたかった役をやれるようにもなっいた時期でした。

そして、主役よりも宙組を引っ張っていく組長というポジションを目標に頑張っている時期でした。

しかし祖父が会社の将来を憂い多まま亡き人になってしまうという事が気がかりになり、宝塚と会社・家族を天秤にかけ、宝塚歌劇団入団を応援してくれた家族の事を考え会社を継ごうと決めたそうです。

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遥海おおらプロフィール

[instagram url=https://www.instagram.com/p/CHVWMVAn1zN/ width=400 hidecaption=true] 名前 遥海おおら(はるみおおら)
配属 宙組(そらぐみ)・男役
入団年 2000年・86期
出身地 群馬県前橋市
出身校 群馬県立前橋女子高等学校
愛称 おーちゃん、おおら
血液型 A型
退団年 2005年

遠山昌子社長が、タカラジェンヌになったきっかけは、小学5年生の頃にテレビで観た宝塚の「ベルサイユのばら」でした。

その宝塚歌劇団の世界観に魅せられカルチャーショックを受けたそうです。

それからは録画したビデオが擦り切れる程、繰り返して観たそうです。

さらに地元前橋に宝塚の地方公演を、祖父母に懇願し観劇、更に公式ファンクラブにも入会し、東京宝塚劇場で天海祐希さん主演の「ベルサイユのばら」を観劇し、完全に宝塚にハマっていったそうです。

そして中学3年生の時に観劇した宝塚の初舞台生が演じる公演を観て入団を決意が固まったそうです。

家族も快諾し、バレエの経験もありませんでしたが、往復5時間かけ、毎日東京までバレエのレッスンに通ったそうです。

宝塚音楽学校の受験資格は中学3年生から高校3年生に在学中か卒業した女性で、15歳から18歳までで、その期間中に4回しか受験は出来ません。

中学から高校まで3回受けるも1次試験で落選し、宝塚を目指す最後のチャンスの高校3年生となり進学か宝塚か?の瀬戸際にたたされました。

悩んだ結果、もし宝塚を諦めて大学受験を選んだら結果はどうあれ一生後悔すると思ったので、宝塚1本という決断を下しました。

それからは、自分を追い込みレッスンをした結果、ラストチャンスの4回目で宝塚音楽学校入学の試験に見事合格し宝塚歌劇団の舞台に立つスタートラインにたちました。

この時の“努力”の賜物とも言える、若い頃に苦労をして成功体験できたという事実がその後の人生に役立っているそうです。

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赤城フーズ

宙組で頭角を現し始めた時期に、祖父・秀雄さんの健康上の問題と実家の赤城フーズの将来を鑑み、宝塚歌劇団を退団し、25歳にして赤城フーズに入社しました。

赤城フーズは昔ながらの体で覚える会社だったので、入社当時の社員の態度は冷たく、結婚までの腰掛だと思われておりコミュニケーションも取れない状態だったそうです。

しかし努力家の遠山昌子社長は、26歳の時に通信制の大学で経営学を猛勉強し、誰よりも売場に立って現場の信頼を勝ち得て行った結果、わだかまりも解消され2007年より常務取締役、そして2018年、6代目代表取締役社長に就任しました。

自分自身をブランディングした「梅ジェンヌ」

入社後配属は広報でした。

元タカラジェンヌということもあり様々なメディアに取り上げられるも、タカラジェンヌとう肩書を生かしきれず売り上げには繋がらなかったそうです。

その原因を突き詰めたところ、その原因の一つが赤城フーズの商品に統一感が無かった事に気付きました。

そこで、無意識のうちに赤城フーズの商品とわかるようにすべきと考えました。

そして、ブランディングを考えた結果開発されたのが自分自身をブランディングした「梅ジェンヌ」でした。

6代目社長としての代替わりアピールにもなるいだけでなく、長い歴史の上で付加価値も加える事にもなります。

現在では、看板商品にまでなっています。

販売店として、宝塚大劇場、東京宝塚劇場でも販されています。

熱中カリカリ梅

遠山昌子社長は「梅ジェンヌ」に続き、「熱中カリカリ梅」をヒットさせています。

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家族構成

結婚されており家族構成は
東京に単身赴任中のご主人亘昭さんと
二人の宜娘さんがいます。
名前も
吉野桜からとった「よしの」ちゃん
榛名梅からとった「はるな」ちゃん
です。

祖父・秀雄さんの言葉を糧に

祖父・秀雄さんは遠山昌子さんが社長就任の姿を見る事なく亡くなったそうです。
しかし、遠山昌子に対し、「あとは頼むぞ」と言葉を残していました。

この言葉を支えに頑張っています。

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Posted by morimori