ブラタモリ 熊本城復興SP 順路まとめ|石門の新発見・白川蛇行説・宇土櫓を解説【5月30日放送】
2026年5月30日放送の「ブラタモリ」は、78分拡大版の熊本城復興SP。
2016年4月の熊本地震から復興が進む熊本城を、タモリさんが10年ぶりに再訪。石垣や櫓の修復現場、発掘調査で明らかになった新発見をたどりながら、熊本城の「真の姿」に迫りました。
この記事では、番組で巡ったブラタモリ熊本城復興SPの順路や、石門・備前堀・二様の石垣・宇土櫓などの見どころを、放送内容に沿ってまとめます。
この記事でわかること
- ブラタモリ熊本城復興SPの順路
- 熊本城の復旧で見えてきた新発見
- 石門は本当に抜け穴だったのか?
- 備前堀と白川蛇行説の関係
- 二様の石垣・宇土櫓・石垣修復の見どころ
ブラタモリ熊本城復興SPとは?
今回の旅のお題は、「熊本城復興10年 見えてきた真の姿とは?」。
案内人は、熊本城総合事務所の津曲俊博さん。タモテバコは、熊本県の人気キャラクター・くまモンから手渡されました。
熊本城は、築城の名手として知られる加藤清正が築いた堅牢な城です。2016年の熊本地震では、石垣や櫓、塀などが大きな被害を受けました。
しかし、復旧作業に伴う発掘調査や研究によって、地震前には分からなかった熊本城の姿も少しずつ明らかになっています。
ブラタモリ熊本城復興SPの順路
今回のブラ旅では、熊本城内を以下の順路で巡りました。
番組で巡った順路
枡形|10年前に訪れた場所は今どうなっている?
最初に訪れたのは、熊本城の南側、天守へ向かう入口付近にある枡形です。
枡形とは、敵の侵入を防ぐために石垣で囲んだ防御施設のこと。熊本城では、6連続の石垣によって敵を足止めする構造になっていました。
しかし熊本地震後、この枡形を囲む石垣の一部に歪みが生じ、崩落の危険があるため現在は非公開エリアとなっています。
現場では、石垣の動きを確認するためにガラス棒が設置されています。余震などで石垣が動くとガラス棒が割れ、危険を目視で確認できる仕組みです。
この枡形の石垣修復完了は、2042年ごろを予定しているとのこと。熊本城全体の復旧が、いかに長期的な事業であるかが分かります。
飯田丸五階櫓|奇跡の一本石垣の現在
続いて訪れたのは、熊本地震後に「奇跡の一本石垣」として大きな話題になった飯田丸五階櫓です。
飯田丸五階櫓は、加藤清正の重臣・飯田覚兵衛が預かっていたとされる櫓で、2005年に木造復元されました。
熊本地震では周囲の石垣が大きく崩れたものの、わずかに残った石垣が櫓を支える姿が注目されました。
その後、櫓の倒壊を防ぐために鉄骨の仮受構台を設置。櫓本体を支えながら安全を確保し、最終的には櫓を一度解体して復旧作業が進められました。
石垣の修復では、石を1つずつ番号で管理し、元の位置へ戻す解体保存修理が行われています。
さらに耐震補強として、石垣内部に金属製の補強材「受圧板」を設置。地震に強い構造へと強化しながら、文化財としての価値を守る工夫が施されています。
飯田丸五階櫓の復旧完了は、2028年ごろを予定しているそうです。
空中回廊|熊本城の復旧作業を見学できる特別通路
枡形や飯田丸五階櫓の一部は非公開エリアですが、熊本城では復旧の様子を見学できる特別見学通路・空中回廊が整備されています。
空中回廊は、被災した石垣や櫓の復旧現場を上から見学できる通路です。
全長は約350m。地上からは見えにくい石垣の崩落箇所や、復旧途中の熊本城の姿を間近に感じることができます。
完成した城を見るだけでなく、復興の過程そのものを見られる点が、現在の熊本城観光の大きな見どころになっています。
闇がり通路|敵を迎え撃つための暗い通路
熊本城の防御性を象徴する場所のひとつが、闇がり通路です。
闇がり通路は、名前の通り暗く見通しの悪い通路。城内に侵入してきた敵にとっては、進路が分かりにくく、迎え撃たれやすい危険な場所でした。
熊本城は、石垣の高さや曲線だけでなく、通路の構造にも防御の工夫が凝らされています。
「城の中へ入った後も、簡単には天守へ近づけない」。それが熊本城の強さのひとつです。
空中雪隠|熊本城にあったユニークなトイレ
今回も熊本城の様子を。
で、今回紹介するのは「空中雪隠」。
ユニークな名称ですが、空中ではなく大天守二階に設けられたトイレで入口近く(三枚目画像の中央部分の出っ張り)に設けられていたんです~。
にしても何でこんな場所に?
「石落とし」と同じ用途なら嫌がらせ効果は抜群だったかも(^▽^;) pic.twitter.com/7g95F02M4A— カブリモノスキー (@kaburimonosuki) January 13, 2022
熊本城の大天守と小天守の間には、空中雪隠(せっちん)と呼ばれる珍しい構造があります。
雪隠とはトイレのこと。空中雪隠は、大天守と小天守をつなぐ部分の床下が石垣の外側へ張り出した場所に設けられていました。
一見ユニークな設備ですが、籠城戦を想定した熊本城ならではの実用的な工夫とも考えられています。
長期戦になった場合、城内で生活を続けるための設備は欠かせません。熊本城には、戦うためだけでなく、守り抜くための知恵も詰め込まれていました。
調査から見えた熊本城の新発見
熊本城の復旧工事は、単なる修理ではありません。
石垣の解体や発掘調査が進んだことで、これまで定説とされていた内容の再検証や、新たな歴史的事実も次々と見えてきました。
石門は抜け穴ではなかった?10年前のブラタモリ説を再検証
案内人として登場したのは、熊本城調査研究センターの文化財保護主任主事・嘉村哲也さん。
熊本城天守閣の北東、平御櫓(ひらおやぐら)の真下には、石垣を貫くトンネル状の構造「石門(いしもん)」があります。
石門は非公開エリアにあり、1960年代の地震後に修復された施設です。
10年前のブラタモリでは、巨大な一枚岩の下にある約10mの通路について、非常時に藩主が逃れる「加藤清正の抜け穴説」が紹介されました。
しかし、熊本地震後の復旧調査によって見えてきたのは、これまでとは異なる可能性でした。
以前は土砂で埋まっていたため、「しゃがまないと通れない狭い穴」と考えられていましたが、調査によって入口の高さ約1.6m、幅約1.8m、内部最大約2mという、人が通行できる十分な広さが確認されています。
さらに、通路脇から排水設備とみられる構造も発見されました。
このことから現在では、石門は「通路兼排水用の暗渠(あんきょ)」だった可能性が高いと考えられています。
つまり、脱出路という単純な構造ではなく、城内の排水機能も担った、加藤清正の高度な築城技術だった可能性が浮上してきたのです。
復旧工事によって、歴史の定説が更新されていく――これも熊本城復興SPの大きな見どころでした。
備前堀と白川蛇行説|熊本城の発掘調査で見えた新事実
熊本城南西部にある備前堀は、城内唯一の水堀です。
熊本市では、築城当時に白川旧流路を資材運搬に利用し、備前堀が船着き場のような役割を果たしていた可能性があると考えています。
白川蛇行説とは?
「白川蛇行説」とは、かつて白川が現在とは異なり、熊本市中心部へ大きく蛇行して流れていたという説です。
1995年、熊本博物館副館長だった富田紘一さんが「慶長国絵図」などの資料と現地調査をもとに発表しました。
現在の白川は比較的直線的ですが、江戸初期までは熊本城周辺を大きくカーブしていた可能性があると考えられています。
熊本城の備前堀を水抜き 33年ぶりhttps://t.co/tLsmwkJh25#熊本市 は、2016年の熊本地震で崩落した石垣や塀の材料を回収するため、#熊本城 の備前堀の水を抜く作業を進めている。水を抜くのは33年ぶり。17日は市職員らが生物の捕獲作業に汗を流し、コイなど416匹をつかまえた。#西日本新聞me pic.twitter.com/7GoT82oISx
— 西日本新聞me | 福岡ニュース (@nishinippon_dsg) November 18, 2021
左)崩落前の備前堀東側石垣
中)崩落後
右)なう→現在、崩落石材回収中 pic.twitter.com/SWhhhhwEpi— 熊本城【公式】 (@kumamoto_castle) December 8, 2022
熊本地震後の水抜き調査で痕跡を発見
熊本地震後、崩落した石垣の回収作業のため、備前堀では33年ぶりの水抜き調査が行われました。
堀底の土砂を取り除いたところ、中央から南側にかけて河川堆積物とみられる黒色砂層が発見されました。
一方で北側には、金峰山由来の火山灰層も確認され、市は「旧白川の右岸境界が備前堀付近だった可能性がある」と推測しています。
つまり、熊本城の発掘調査によって、白川蛇行説を裏付ける有力な証拠が見つかったことになります。
加藤清正は治水工事によって川の流れを変え、現在の熊本市街地形成につながる都市設計を行ったとも考えられています。
二様の石垣(武者返し)|地震で分かった加藤清正の技術力
熊本城の見どころのひとつが、二様(によう)の石垣です。
この石垣では、加藤清正時代の石垣と、その後の時代に積まれた石垣を比較できます。
熊本城二様の石垣 加藤清正が築いた石垣と、細川忠利が増築した石垣の違いを比べることができる場所 学びが多い #土木の妖怪マツ pic.twitter.com/DL4Q7WL0Hq
— 橋の町医者マツ|松永昭吾 (@shogo_brucke) January 24, 2022
特に注目なのが、清正時代の「武者返し」と呼ばれる反りのある曲線構造です。
上部へ行くほど急角度になる独特のカーブによって敵が登りにくくなるだけでなく、今回の熊本地震では高い耐震性も注目されました。
周辺の直線的な石垣が崩落する中、「武者返し」の石垣は被害を抑えていたのです。
さらに、江戸時代の巻物「熊本城石垣秘伝之書」には、石垣の傾斜や反りを数値化して築く技術が記録されていたことも判明。
加藤清正の築城技術が、現代の耐震工学的な視点でも優れていた可能性が見えてきました。
熊本城の石垣修復はどう進められている?
熊本城では、最大約10万個とも言われる石垣を修復しています。
復旧では、石を1つずつ番号管理し、元の場所へ戻す「解体保存修理」が採用されています。
間詰石(小さな石)にまで識別番号が振られており、石垣全体をパズルのように復元する気の遠くなる作業です。
また、石にはテープで分類も行われています。
- 茶色テープ:歪みがあり取り外して修復する石
- 黄色テープ:元位置にあり再利用する石
石垣内部には、水はけ機能を持つ栗石や盛土なども再現され、築城当時の技術をできるだけ守りながら復元が進められています。
宇土櫓|今もっとも重要な復旧現場
最後に訪れたのが、熊本城の重要文化財宇土櫓(うとやぐら)です。
宇土櫓は、江戸時代から残る高さ約19m・五階建ての貴重な櫓ですが、現在は修復のため解体されています。
解体調査によって判明したのは、地下部分に「穴蔵地下室」があり、昭和2年(1927年)の修復時にコンクリート補強されていたことでした。
結果として、この補強が2016年熊本地震での大きな倒壊被害を防いだ可能性も指摘されています。
さらに柱の加工跡を見ると、時代ごとの工具変化(手斧削り・丸鋸削りなど)も確認され、熊本城が長い年月をかけて修復を繰り返してきた歴史も見えてきました。
腐食部分も単純交換ではなく、継ぎ足し修復を行い、後世に記録として残していくという考え方が採用されています。
宇土櫓の復旧完了目標は2032年です。
ブラタモリ熊本城復興SPまとめ
今回のブラタモリ熊本城復興SPでは、復旧工事を通して見えてきた「熊本城の真の姿」が紹介されました。
- 石門は「脱出用抜け穴」ではなく通路兼排水設備だった可能性
- 備前堀の発掘で白川蛇行説を裏付ける痕跡が発見
- 二様の石垣(武者返し)は耐震性にも優れていた
- 宇土櫓は昭和修復の補強が震災被害軽減につながった可能性
- 10万個規模の石垣修復が今も続いている
熊本地震という大きな被害は悲しい出来事でしたが、復旧調査によって熊本城の新事実も明らかになりました。
先人たちの知恵や技術を未来へつなぐ――それこそが、今回のブラタモリ熊本城復興SPが伝えたかったメッセージだったのかもしれません。