モーリー・ロバートソン 若い頃はパンクバンドで放送事故!?激レアさんを連れてきた。
激レアさんを連れてきた。では「ヤンチャすぎて高校を退学した不良なのに、自身のパンクバンドの宣伝のため東大とハーバード大学に同時合格した天才」として日本を中心に活動している米国籍のタレント、ミュージシャンで国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソン(モリロバ)さんが登場します。
この投稿では、
モーリー・ロバートソンが若い頃パンクバンドで放送事故の動画
デビュー曲(デビュー・アルバム)
激レアさんを連れてきた。の見逃し動画配信のお知らせ
をお伝えしますね。
【放送日:2021年6月21日(月曜日)23:15~】
ヤンチャすぎて高校を退学した不良なのに、自身のパンクバンドの宣伝のため東大とハーバード大学に同時合格した天才
モーリー・ロバートソンさんは情報番組、報道番組、バラエティ番組などで流暢な日本語を話すインテリなアメリカ人というイメージが有りますね。
それもそのはず、国籍こそ日本の法律で二重国籍が認められていない為、アメリカの国籍を取得していますが、アメリカ人の父親と日本人の母親の間に産まれたハーフです。
1963年1月12日にアメリカ合衆国ニューヨーク生まれ、1968年に父の転勤で広島県広島市で幼少期を過ごしました。
そして「日本語や漢字を使えるようになりたい」とインターナショナルスクールを辞め、小学校5年の2学期から広島市立五日市南小学校に転校したそうです。
1975年に広島県の名門進学校「修道中学校」にトップクラスの成績で入学するも、父の転勤で2年1学期末に修道中学校を中退し、米国ノースカロライナ州チャペルヒルに転居し、チャペルヒルの公立校に入学しました。
その後、デューラム市の私立校に転校し、成績優秀で1年飛び級したそうです。
1977年になると、今度は父の転勤でサンフランシスコへ転居し現地の公立高校に入学しました。
しかし、モーリーさん自身の強い希望で広島の修道高等学校に留学生として戻る事になりました。
その1年後に当時流行っていたディスコに行くなどヤンチャすぎて「不良」の烙印を押されてしまい、自主退学を選びました。
その後、母の実家がある富山県高岡市に母や弟と移住し、富山県立高岡高等学校に転入を希望しましたが学校側が難色を示し、聴講生の扱いでしばらく通学となったそうです。
そして編入を認められたそうです。
パンクとの出会い
92年12月5日放送の「たけし・逸見の平成教育委員会」より。誰あろう、25年前のモーリー・ロバートソンさんです。面影無いなあ(^^;) pic.twitter.com/1hsI56yMKB
— デいモん店長 (@showbymagical) November 6, 2017
この頃、ヤンチャしすぎたモーリーさんの心の支えになったのが音楽だったそうです。
当時の富山にはディスコがなく、仕方がないくディスコに似ていると思いライブハウスに足を運ぶ様になったそうです。
そこで大手資本のついていない、インディーズのパンクバンドによる社会への憤りなどを歌う姿勢に感銘を受けて、音楽の世界で食べていく事を決意したそうです。
そして、近くの工業高校生とパンクバンドを組み市外でライブ活動を開始したそうですよ。
東大受験
モーリーさんの自叙伝を読み中。モーリー・チャンネルでもこの本の事が出てきてなんかタイムリー。 pic.twitter.com/gLzeiOHqHE
— Arttkyk (@beanscafe) October 25, 2016
モーリーさんは、バンドをメジャーにする為に思いつたのが東大受験でした。
東大に入ったらバンドの宣伝になる!と考え、元々勉強が出来たモーリーさんは、入試直前の3ヶ月はバンド活動を休んで猛勉強したそうです。
その結果、1981年4月、東京大学理科一類に合格し入学しました。
アメリカ国籍で留学生としてでなく、受験生として東大に合格したのは、モーリーさんが初めてなのではないか、と云われているそうです。
それだけでなく母国アメリカでも、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学、イェール大学、カリフォルニア大学バークレー校、プリンストン大学の錚々たる名門大学にも合格したそうです。
放送事故!?
目論見通り東大に合格するとパンクバンドの出演オファーが来ました。
日テレ(YTV)の情報番組「ルックルックこんにちは」に生出演をしました。
しかし、4曲目で放送事故!?
パンク野郎 https://t.co/AEgj29T1Oi
— モーリー・ロバートソン (@gjmorley) June 1, 2019
暴走し、最後は倒れ込み、自ら「コマーシャル!コマーシャル!」と叫び放送を中断!(笑)
バンドのその後
モーリーさんのパンクバンドは、モーリーさんがテレビに出る緊張に負けて解ったそうです。
実際は、メディアからモーリーさんが「天才」ともてはやされており、バンドメンバーからは「お前の脇役になってしまう」と言われ除名されたそうです。
デビューアルバム
東大在学中の1981年にモーリー“ストイック・エディ”ロバートソンの名前で発表した超レアなアルバムが「ストイック・哀愁ゼミナール」です。

モーリー“ストイック・エディ”ロバートソン
「ストイック・哀愁ゼミナール」
01 ストイックのテーマ
02 似而非レゲエ
03 チャリンコロッカー
04 ストイックディスコ
05 哀愁ゼミナール
06 リンゴ追い分け
07 赤門ロック
08 浄化された6/8
09 アングラ聖人
10 精神幻想
11 Sleepy
なんと!当時山口百恵さんのプロデューサーとして有名だったソニーの酒井政利から声がかかったのがレコードデビューのキッカケとなったそうです。
配信で聴くことが可能です。
配信サービス:iTUNES、mora、レコチョク他、ストリーミングはApple Music、LINE MUSIC、Spotify
パンクから電子音楽へ
4月17日に放送された「報道ランナーSP 激動関西60年 あの衝撃ニュースの裏側」において、モーリーロバートソンさんの若い頃の写真に電波新聞社刊コンピュータミュージックマガジン98年2月号?の写真が使われていました。
許諾依頼が来ていたのを今録画で確認。 pic.twitter.com/LHYexCusCu— 忍者犬☆乳丸 (@opaimar) April 22, 2018
東大在学中にプロミュージジャンデビューを果たしたが、自身がパンクをやりたいにも関わらず、メジャーな音楽が求められたことに違和感を覚えたそうです。
東京大学は燃え尽き症候群で4ヶ月で中退し、心機一転ハーバード大学で学ぶ事にしました。
そして、フィリップ・グラス(ミニマル音楽)に傾倒しライブを観たり、ジョン・ケージと直接会話するなどして高揚しアートと実験音楽に身を投じることを決意したそうです。
そして、パンクと即興演奏を組み合わせたようなグループを学内で結成しました。
電子音とアニメーションを組み合わせたモンタージュ、聴覚と視覚の同時進行する作品が見る人に幻覚体験をもたらせることに可能性を感じ、電子音楽とアニメーションを専攻し、視覚環境学部に進みアナログ・シンセサイザーの世界的な権威に師事ました。
1988年に音と映像のモンタージュ作品を卒業制作とし、ハーバード大学を卒業しました。
こちらの動画がモーリーさんが作成した音と映像のモンタージュ作品です。
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