ファミリーヒストリー ナイツ・土屋家のルーツは元寇の伝説武将!斎藤資定(すけさだ)とは?動画は?

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ファミリーヒストリーではお笑いコンビ「ナイツ」のルーツが明らかにされ、土屋伸之さんの土屋家のルーツは鎌倉時代の元寇で対馬を守るために奮闘した伝説の武将!斎藤資定(すけさだ)である事が判明しました!

そして母は津島亜希の芸名を得て「新宿番外地」でデビューした演歌歌手で、大物俳優勝新太郎さんが絶賛する程でした!

今回は
母親方の先祖斎藤資定の戦い
見逃し動画配信のお知らせ
を投稿します。

ナイツ塙の先祖については別ページに投稿します。
※鋭意執筆中です。

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ナイツ~土屋家のルーツは元寇伝説の武将!斎藤資定(すけさだ)とは?

齋藤資定(すけさだ)
齋藤資定(すけさだ)

ナイツの土屋伸之さんは、父・土屋潤一郎さんと母・和子(旧姓齋藤和子)さんとの間に生まれました。

今回は父親方「土屋家」と
母親方「齋藤家(斎藤家)」のルーツが紹介されました。

先ず、母親方「齋藤家(斎藤家)」のルーツの紹介をします。

母方のルーツは、長崎県対馬市厳原町久根田舎、山間の集落の出身でした。

土屋さんの母方、旧姓・齋藤和子さんの齋藤本家には、約745年前元寇が日本に攻めてきたときの戦い絵図に先祖の齋藤資定(すけさだ)が黒い馬に乗った姿が描かれていました。

斎藤資定
斎藤資定

その事から土屋さんの母方の祖先は、元寇で大活躍した武将である事が分かりました!

その武将の名は斎藤兵衛三郎資定(すけさだ)。

二度に渡るモンゴル帝国(元朝)
と高麗による
日本への侵略「元寇」は
・文永の役(1274年)
・弘安の役(1281年)です。

斎藤兵衛三郎資定は、最初に元と高麗の軍が対馬に攻めてきた「文永の役(1274年)」で大活躍した事が対馬の守護神・宗 助国(そう すけくに)の家譜「宗氏家譜」に綴られていました!

宗氏家譜
刀をふるって力戦
刀が折れても退かず、石で9人の敵を倒した

斎藤資定(すけさだ)の活躍

鎌倉時代の1274年10月5日夕刻、元・高麗軍の大群が900を超える船で現・対馬市厳原町小茂田(対馬下島西岸の佐須浦)に上陸してきました。

事を聞きつけた対馬の守護代・宗 助国(そう すけくに)は、現在の対馬市久根田舎から夜道を八十余騎を率いて小茂田に翌日10月6日に到着しました。

小茂田浜に愛馬と共に駆けつける齋藤資定
小茂田浜に愛馬と共に駆けつける齋藤資定

宗 助国が通訳を通し、元・高麗軍に上陸した理由を聴取している間に元・高麗軍は攻撃を始めました!

助国は、対馬小太郎小太郎と兵衛 次郎(ひょうえ じろう)に命じて、急を大宰府に知らせるようにと命じました。

二人は、激戦のなかを小舟で抜け出し、博多に上陸して太宰府にその旨を報じた後、長崎県鷹島に元軍が上陸すると迎え撃ち戦死しました。

宗 助国は、68才でしたが老骨に鞭打ち、部下を激励しながら陣頭に立ち、群がる的を相手に勇戦奮闘しましたた。

宗 助国の下、元軍を迎え撃った武将の一人が齋藤資定でした!

斎藤兵衛三郎資定は、身長は当時として珍しく大柄で身長は1メートル80センチ位だったと云われています。

その戦いぶりは鬼神が如く、大太刀を揮って群がる敵の中に馬を乗り入れ、多くの元軍人を斬り倒し、刀が折れても退かず、ならばと石をふるって奮闘し、敵の面を砕き一人で9人の敵を葬った、と「宗氏家譜」に記録されています!

しかし、終には精根力尽き果てましたが、敵の手中に落ちるのを潔しとせず、自ら浜辺の岩で頭を打ち砕くという壮烈な最後を遂げたそうです!

齋藤家に残されている系図によると、永11年(1274年)10月06日で小茂田浜で戦死した、とに記録されており「宗氏家譜」の記述と相違有りませんね。

齋藤家に残されている系図による戦死の知らせ
齋藤家に残されている系図による戦死の知らせ

ナイツ土屋さんの母方の先祖・斎藤兵衛三郎資定および対馬の守護神・宗助国の八十余騎の一族・郎党は、こうして最後の一兵にいたるまで奮戦し、全員壮烈な玉砕を遂げたそうです。

斎藤兵衛三郎資定ら対馬を守るために戦った兵達は元・高麗軍が上陸した小茂田浜の宗右馬允助國(宗助国)を主祭神とする「小茂田濱神社」に祀られています。

対馬小太郎小太郎と兵衛次郎が太宰府にもたらした知らせにより博多では迎え撃つ準備が出来ただけでなく、神風まで拭いて元寇は失敗に終わりました。

神風に関しては最近の研究結果では否定的な意見もあり元寇で勝利出来たのは、鎌倉武士達の奮闘のお陰で台風は追い風に過ぎなかった、そして使われた秘密兵器が「う◯こ」だった(笑)・・・と、NHKの歴史番組・歴史秘話ヒストリアの「蒙古襲来の真実」でも語られていました!

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母親は演歌歌手!

現在の母親方の斎藤家は、総本家とは江戸時代に分家したそうです。

ナイツ土屋家の父方の家系図
【祖父】傳(つとう)
【祖母】秀子
【母】和子
【長男】伸之

母親は長崎県対馬市久根田舎の出身で前途の元寇伝説の武将・斎藤資定を先祖に持ちます。

祖父・傳(つとう)さんは10歳の時、従兄弟がイタズラで放った弓矢が右目に刺さり失明してしまう悲劇に会いました。

そんな体に障害を持つ傳さんは、太平洋戦争で敗戦の色が濃くなった昭和19年23歳の時、召集令状により陸軍の兵士として出征しました。

通常、身体に障害がある場合、身体検査で落とされますが、目に障害がある傳さんが召集される程、兵力が逼迫していた事がうかがい知る事ができますね。

目に障害がある傳さんは、一線で闘うのでは無く満州国にて後方支援に従事していたと考えられています。

戦争が終わり日本に復員すると、昭和21年10月亡くなった兄の妻・秀子さんと結婚したそうです。

そして昭和23年1月、将来土屋伸之さんの母となる和子さんが誕生しました。

歌が上手く中学を卒業する頃、東京で働く姉の君枝さんが東京に行って歌の勉強をして歌手にならないか?と提案をしたそうです。

歌手デビュー

和子さんは、昭和38年上京し池袋のタレント養成所に通いました。

そして、願いが叶い「津島亜希」の芸名を得て「新宿番外地」でデビューしました。

津島亜希
津島亜希

事務所はナイツと同じマセキ芸能社に所属していたそうですよ!

勝新太郎さんが絶対伸びる新人だよ、と太鼓判を押しました。

津島亜希を絶賛する勝新太郎さん
津島亜希を絶賛する勝新太郎さん

その後もレコードを発売しますが、売れずに歌手を諦めたそうです。

結婚

和子さんは、姉の君枝さんの紹介で、印刷の仕事をしていた土屋潤一郎と出会い昭和53年4月に結婚しました。

そして10月に長男の土屋伸之さんが誕生しました。

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ナイツ土屋の父方の祖先は?

ナイツ土屋家の父方の家系図
【高祖父】和作
【曽祖父】作蔵
【祖父】五郎
【父】潤一郎
【長男】伸之

ナイツ土屋の父方の高祖父和作さんは長野県の農家でしたが、金貸しもやっていたそうです。

その為、農家としては比較的優雅で、祖父・五郎さんは昭和9年私塾・志賀村塾に通うようになったそうです。

京都帝国大学出身の鬼崎徹誠塾長は、長男が戦争で兵士として出征してしまった農村の次男三男を救うための策を考えていた思想家です。

鬼崎塾長が考えていたのが、国策として満州移民が進められていた時代に、満州移民と併行して内地移民を実現する事でした。

それは満州国の兵士が弱体化したらたちまち国民は疲弊してしまう事を憂いていて、歴史は塾長の考えていた通り満州国の移民はソ連の参戦により逃げ惑い、折角耕した土地も財産も失ってしまいました!

長野県では最も多い3万人が満州に渡ったそうです。

志賀村塾は、開拓事業として長崎県大村に鬼崎塾長の指導の下、18万坪を開拓したそうです!

開拓した農地は、空襲にも遭わず無事でした。

しかし五郎さんは挫折し東京へ移住し印刷会社に就職しました。

結婚すると昭和23年、将来ナイツ土屋さんの父親となる潤一郎さんが誕生しました。

ナイツ土屋の父・潤一郎さん
ナイツ土屋の父・潤一郎さん

そして潤一郎さんは、齋藤和子さんと結婚しました。

たまたま祖父・五郎さんと同じく長崎県の方でした。

ナイツ結成

土屋伸之さんは、平成9年創価大学に入学しました。

入学時は公認会計士を目指し1日10時間猛勉強をしていたそうですよ!

公認会計士は諦め大学2年の秋、落研に入り部長を務めていたのが塙宣之さんでした!

そして塙宣之さんが卒業する頃、相方をやらないか?

と声をかけられ30歳までに売れなかれば辞めるという父親との約束で大学卒業後プロの漫才コンビとしてナイツが結成されました。

そして事務所は母親和子さんが歌手時代に所属していたマセキ芸能社に母親の口添えで所属する様になりました。

まとめ

ナイツ塙さんのファミリーヒストリーは別ページに投稿予定です。

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