ファミリーヒストリー 野村萬斎の先祖は徳川家康の家臣で城主の武将永井直勝!再放送や見逃し動画配信とネタバレと家系図!
今回のファミリーヒストリーは「野村萬斎~次世代に信念をつないで~」と題し、狂言方和泉流の能楽師・俳優・演出家野村萬斎(武司)さんのルーツに迫りました。
母方の祖先は、徳川家康に仕えた御三家尾張徳川家の武将鳴尾永井家の永井直勝で「小牧長久手の戦い」で活躍し東端城城主に!
曽祖父・阪本 釤之助(さかもと さんのすけ)は福井県知事、鹿児島県知事、名古屋市長を歴任で、祖父は詩人で文学者の阪本越郎です。
父方のルーツは金沢市にあり、酒造りを営む家に生まれた江戸時代の先祖が、芸事が好きということもあって狂言師となり現在に至ります。
この投稿では、ファミリーヒストリー・野村萬斎さんの放送内容のレビューと見逃し動画配信や簡単な母方坂元家の家系図をご案内します。
【本放送】2022年3月21日(月曜日)19時30分~20時42分 (72分)
【再放送】2022年3月25日(金曜日)24時15分~25時27分 (72分)
ファミリーヒストリーの動画をお探しの方は見逃し配信で観ることが可能ですよ♪
「ファミリーヒストリー 野村萬斎」あらすじ
狂言方和泉流の能楽師・俳優・演出家野村萬斎(武司)さんの父方のルーツは金沢市にありました。
酒造りを営む家に生まれた江戸時代の先祖が、芸事が好きということもあって狂言師となりました。
その子孫たちは幕藩体制の崩壊や世界恐慌、戦争といった危機の中で狂言を守り、次世代へ伝えることとまりました。
そして母方の祖先は、尾張徳川家康に仕えた武将・永井伝八郎直勝で「小牧長久手の戦い」で活躍し東端城城主となりました。
野村萬斎さんの母方坂元家の家系図
狂言方和泉流の能楽師・俳優・演出家野村萬斎さんの母方の先祖をたどると尾張徳川家に仕えた武将で鳴尾永井家に行きあたりました。
曽祖父・阪本 釤之助(さかもと さんのすけ)は1902(明治35)年から福井県知事、1907(明治40)年から鹿児島県知事を歴任。
そして1911(明治44)年7月4日から1917(大正6)年まで、名古屋市長を務めました。
阪本釤之助氏は、永井家から養子として迎えられました。
【10代前】永井正直
【9代目】永井直隆
【8代前】永井正次(永井家)
【7代前】永井匡紀(永井家)
【6代前】永井匡⿍(永井家)
【5代前】坂元敬水(坂元家)
【5代前】永井匡儀(永井家)
【高祖父】坂元政均(坂元家)
【高祖父】永井匡威(永井家)
【曽祖父】阪本釤之助
【祖父】阪本越郎
【父】野村万作
【母】阪本若葉子(わかばこ)
永井家は、江戸時代の武将の一族「鳴尾永井家」の家系で、現在の南区元鳴尾町の武家でした。
中でも永井家の大江直勝氏は傅八郎(でんぱちろう)とも名乗り徳川家康の側近でした。
参陽実録によると、大江直勝氏は傅八郎(でんぱちろう)と名乗り「風流踊り」と呼ばれる、鉦・太鼓・笛など囃しものの器楽演奏や小歌に合わせて様々な衣装を着た人びとが群舞する踊りで人気でした。
それを観た家康の長男、松平信康に気に入られていました。
そして徳川家に取り入れられ後に永井の性を与えられました。
天正12年(1584年)羽柴秀吉軍との「小牧長久手の戦い」で大手柄をあげました。
直勝は敵の大将池田恒興(勝入)を討ち取りました。
池田勝入殿の最期。討ち取ったのは下総古河藩初代藩主、永井直勝殿。
「小牧長久手合戦図屏風」より母衣衆を討ち取った場合その母衣で首を包むのが作法でござる。
それがしも増田兵部太夫盛次殿を討ち取った時はそういたしました。 pic.twitter.com/QSuSzgKxR7— 磯野平三郎 (@Heisaburo_Isono) January 24, 2021
その結果22歳にして知行1000石、翌年は2000石を加増されたそうです。
そして東端城城主となりました。
【東端城跡】愛知県安城市東端町中縄手13-1
1590年(天正18)、徳川家康の関東移封に従って多くの家臣団が関東へ移住すも、直勝はこの地に留まり、姓を永井に改めて永井伝八郎直勝と名乗りました。
更に1617年(元和3)の大阪冬の陣での活躍により、常陸国笠間城32000石の城主となり転出しました。
これにより東端城は廃城になりました。
1585年(天正13年)正直が誕生しました。
【10代前】永井正直
永井正直氏は武士の道を選ばず、鳴尾地区に塩田を開発し、塩の外輪国(他藩)に輸送の事業を始めました。
星崎と呼ばれる地域で100ヘクタールくらいの大きな塩田だったそうです。
正直氏は、この塩田を仕切っていたそうです。
質が良く「前浜塩」というブランド名も与えられていたそうです。
現在、この地には信州などに運んだ塩付街道の起点としての標もあります。
長楽寺前の瀬古道から広い道路に出てくると、東海道の道標が立っていました。
この南区呼続(よびつぎ)付近は、その昔、
近くの星崎塩田の塩を信州などに運んだ塩付街道の起点だったそうで
この道標は、その街道と旧東海道の交差しているところに立てられているようです。 pic.twitter.com/gE0X4fjM4p— 新美 勝利 (@kniimi) February 6, 2019
他にも農地改革も着手し、儲けよりもこの地域の人々の生活を支える為に働いていたそうで、人々から慕われていたと考えられています。
その意志を受け継いだ子孫は町人に儒学を教えていたそうです。
曽祖父・永井(阪本)釤之助
1857年(安政4年)曽祖父となる永井釤之助氏が誕生しました。
漢文や和歌を嗜む秀才で明治10年、20歳で上京し、内務省衛生局(厚生労働省)に入省しました。
そして当時流行していた伝染病コレラの対策に追われました。
明治16年静岡まで出向き薬を配ったり、指導を行っていたそうです。
その姿が坂元家の高祖父にあたる元老院の坂元政均の目に止まり、坂元家の養子として迎えられました。
そして全塗の通り県知事や名古屋市長を歴任しました。
それだけでなく、漢詩人としても活躍しました、
祖父・阪本越郎
明治39年祖父となる次男・阪本越郎が誕生しました。
祖父・阪本越郎氏は詩人で文学者ので、教科書にも詩「花ふぶき」が掲載されるほどでした。
戦後は視聴覚教育や童話アンデルセンを翻訳し、子どもたちに童話の世界を届けました。
昭和15年、母親となる阪本若葉子(わかばこ)が誕生しました。
学生時代に狂言師野村二郎と出会い、昭和35年結婚、6年後二人の娘の次に長男として武司さんが誕生しました。
野村萬斎さんは、母方の祖先まで芸で召し抱えられた事に驚きを隠せませんでした。
塩田を始めるなど、「じっとしてねー祖先たち」と表現しました。
ファミリーヒストリー見逃し動画配信
ファミリーヒストリー「野村萬斎」の再放送は3月25日です。
見逃した方や、もう一度ご覧になりたい方は、見逃し動画配信がオススメですよ~♪
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